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偉人達の喫煙と破れ窓理論

2004331日&811

宇佐美 保

 

 私の煙草体験は、高校時代に一口吸って“こんな不味いもの!”と云って終わりました。

 

ところが、大学を出て直ぐ勤務したのは、アスベスト(石綿)を使用した製品を製造する会社(日本アスベスト)でした。

当然、そこでの仕事中は、アスベスト除けのマスク着用の規則はありました。

若者達に、癌の危険性を訴えたところで、頭では理解しても、自分だけはそんな病気に掛からないなどと、勝手に解釈して、20歳台の私らは、誰一人そんな規則を守っていませんでした。

若者達の行動を規則で規制するのは野暮という感じでした。

 そんな事で、昼休みなどは、アスベスト入りの麻袋を3つ程横長にベッドのように連ねて、その上で昼寝していたものです。

ですから、私の肺の中には、(煙草ではなく)肺癌誘発物質であるアスベストが多量に蓄積されている筈です。

 

 この様な私が、この拙文「偉人達の喫煙と破れ窓理論」を書こうと思ったのです。

 

閑話休題

 

 今もって、私達は、偉人達の喫煙されるお姿をテレビや印刷物で目にすることが出来ます。

 

「道路族」に果敢に立ち向かった勇気ある猪瀬直樹氏、著作『バカの壁』で自らは、「バカの壁を突き破っておられる」事を世に知らしめた養老孟氏、更には、“ご自身は、絶対に過ちを犯したことも、犯すこともない方なのだ”と思わせて下さるような見解を日刊ゲンダイのコラム『俵孝太郎の辻斬り説法』に於いて披露される神のような俵孝太郎氏等々。

 

 そして、これらの皆様方は、「今の日本の禁煙運動は、まるでファッショだ!」的ご見解を披露されておられます。

 

 只、多くの偉人達の中でたったお一人だけ、特異なお方が居られました。

それは、テレビ朝日の番組『朝まで生テレビ』放映中に、喫煙姿が何度か映し出されて居られるジャーナリストの大谷昭宏氏でした。

 

 大谷氏は、別のテレビ番組で

“私は、意志が弱いから禁煙出来ない”

との脱偉人宣言をされておられました

 

 一方、『通販生活(2003春号)』の紙面にて、自己の喫煙に関して、実に御立派な見解を披露して下さる方々も居られました。

但し、下種の私が判断すると、これらの偉人・神様達は「随分身勝手だなあ」と思いました。

そこで、その偉人達のお言葉(文末に掲載)を抜粋させて頂きながら、愚者の繰り言を綴らせて頂きたいと存じます。

 

先ず、評論家の安原顯氏は次のように語っています。

 

 医者はみな「喫煙は肺癌の因」とのデマを流している。統計的にみればたしかに「肺癌」患者の単純比率は喫煙者に多い。だからといって、その因果関係はいまなお不明、証明されてはいません。たまたま肺癌遺伝子を持った喫煙者が、ストレスや都会の排気ガス等々の複合作用で発病することはあったとしても、喫煙者のすべて、また周辺にいる者が必ず肺癌になるなんてことは絶対にありません。

 

 この論理で行きますと、安原氏は、私の肺の中に居座っている多量のアスベストに関しても、“アスベストは肺癌の因とのデマを医者が流している”と宣言して下さるのでしょうか?

 

 肺癌の原因のみならず、科学の世界では、全ての原理原則が理論的に構築されている訳でもありません。

(極論すれば、“科学は全て統計的(疫学的)学問だ!”と云えるのだと思います。)

私達が、情報を視覚的に(テレビ、印刷物などから)得る際は、光のお世話になっています。

だからといって、この光の本質が、科学的に解明されていますか?

 

 光の速度は、秒速約30万キロであって、光より早く進むものはない。

では、何故そんなに早く、光は進めるのですか?!

何故、光の速度が、この宇宙での最高速度なのですか?!

 

 更には、光は、波と粒子と双方の性質を有する。

では、何故?

そして、その波はどんな格好で波が、そして粒子が伝達されるの?!

等々

 

 それに、電気なくしては、私達の日々の生活は成り立たない状態です。

そして、この電気の根本法則は、マクスウェルの4つの方程式です。

でも、この偉大なる法則は、私達が小学校時代に習ったファらディーの法則やアンペアの法則等の、或る意味での経験的統計的な法則を積み上げて成立しているのです。

 

 更に付け加えますと、アインシュタインは、このマクスウェルの法則より成り立つ「電磁気学」に疑問を抱くことで、相対性理論の開拓の道を進んでいったのです。

そして、不肖私も、マクスウェルの法則に変わる新しい電気の世界を確立する為に、努力しています。

(やがて、日の目を見るであろう私の本に注目して下さい。)

 

 と申しましても、経験統計的法則に基礎を置くマクスウェルの法則で、私達のテレビもパソコンも携帯電話も設計され、その恩恵を私達が与っているのです。

 

 従って、安原氏の“統計的にみればたしかに「肺癌」患者の単純比率は喫煙者に多い。だからといって、その因果関係はいまなお不明、証明されてはいません”の見解は、科学的であるようでいて、科学的な見解とは言えないのです。

(それに、喫煙大好きの偉人の方々は、“アスベストが誘癌物質と云っても、疫学的に云われているだけだから、その因果関係は不明!”と信じ、壁がアスベストを吹き付けられたお屋敷に住みたいと思われますか?)

 

 ですから、次のホームページ「喫煙対策小委員会から」の記事を真摯に受け止めるべきと存じます。

http://www.gonryo.med.tohoku.ac.jp/kyoushitsuinkai/dayori/Vol.6-No.5-2001.1.1/kinnen.html

 

「喫煙と生活習慣病」 公衆衛生学 西野 善一
 喫煙の健康影響は疫学的には疑う余地がありません。がんを例にとれば、これまでの疫学研究の結果から、がん全体の約3分の1喉頭がんの90%以上肺がんの70%以上は喫煙が原因で起こっていると考えられます。単一の要因でこれほど疾病に関与している習慣は他になく、喫煙対策を抜きにした生活習慣病対策は全く意味をなさないといっても過言ではありません。喫煙に関していえば21世紀は研究ではなく行動の時期であり、医療従事者はその中心として喫煙対策に取り組む必要があります。……

 

 “喉頭がんの90%以上が喫煙の影響”との、このホームページの記述に驚きました。

そして、この煙草の害についての記述から、イタリアとドイツの優れた二人のバリトン歌手の悲劇が私の脳裏に浮かんできます。

 

 196310月、19656月と2度来日し、日本のオペラファンを熱狂させたイタリアの名バリトン歌手エットレ・バスチアニーニ氏2度目の来日時に、ピアノ(鍵盤楽器)伴奏として作曲されているイタリア古典歌曲を、岩城氏のオーケストラ伴奏で録音され、帰国し、その1年半後喉頭癌44歳の生涯を閉じてしまったのです。

(拙文《バスティアニーニを偲んで》を御参照下さい

 

 更に、岩城氏は、ヘルマン・プライ(ドイツの人気バリトン)氏の1995年来日し、岩城氏の伴奏で歌われた際の思い出話を、以前JTの広告のコラム「喫煙室」にて、次のように書かれていました。(正確な文言は忘れましたが)

 

 奥様から喫煙を禁じられているヘルマン・プライが、“一寸、ここで煙草を吸わせてくれ”と、奥様に内緒で私の楽屋へ訪ねてきて、二人で楽しい喫煙のひとときを共有した

 

 そして、この2年後の1997107日、ヘルマン・プライ氏は、ピアノ伴奏として作曲されているシューベルトの歌曲集「冬の旅」を、岩城氏のオーケストラの伴奏で録音し、翌年の723日に心筋梗塞煙草は、高血圧、高コレステロールと並んで、心筋梗塞の3大原因の1つ(注:1で、この世を去られてしまわれました

 

そして、この掛け替えのない二人の名バリトンの最後の録音の指揮をされた岩城宏之氏ご自身も、数年前、喉頭癌の手術を受けておられます。

 

 この(喫煙される)お三方の喉頭癌(或いは心筋梗塞)の発症は単なる偶然とは思えません。

 

更に、安原氏の、「あえて禁煙をしない理由」は、多くの我が国の偉人達に共通する思いではないのでしょうか?

 

あえて禁煙をしない理由は、現在の悪しき「禁煙ブーム」がおもしろくないからでもあります。なぜかアメリカを中心に、自称先進国での「禁煙の嵐」は吹き荒れる一方で、いまや「喫煙者=犯罪者」との風潮まである。このことにむかっ腹が立ち、「ならば永遠に犯罪者になってやろうじゃねえの」、みたいな気にもなっているんです。”

 

 只、若干異なる点が有るとするなら、「ならば永遠に犯罪者になってやろうじゃねえの」ではなくて、「そんな社会に立ち向かってやる」の気持ちをお強いのではないでしょうか?!

 

 でも、煙草を吸う位で「そんな社会に立ち向かってやる!」と云うのでは情けないですよね。

同じ立ち向かうなら、安原顯氏は、

 

“核や細菌兵器、銃や麻薬より煙草の害が大きいというのか”

 

 と思われたのですから、そんな害を振りまく米国に立ち向かって欲しかったと思います。

更に、猪瀬氏でしたら、最後まで「道路族」に立ち向かって欲しかったです。

又、リコウな養老氏なら「煙草は無害の学術的反証」をされてみては如何なものでしょうか?!

 

 本来立ち向かわなければならない事態に立ち向かわずに、煙草を吸う位で「そんな社会に立ち向かってやる!」と云うのでは、まるでだだっ子で情けないですよね。

 

これでは、作家・演出家の久世光彦氏の

 

「成績はいいけど、でも煙草を吸う不良」というのが格好よく思えたんです。

 

といった類と同じでしょう。

 

 これでは、“大人が勝手に禁煙を押し付けて気にいらねえ、そんな大人の社会に俺は反抗してやる!”と云った具合に、喫煙に入り込み、禁煙地域(駅構内とか)で煙草を吸ったりする若者達の浮ついた行動と同じです。

 

更に、エッセイストの高橋章子氏は、

 

私は全然、煙草をやめるのは苦にならないんです。いつだってやめられると思うし、やめたこともある。でも、今はこれといってやめる理由もないので吸い続けています。

 

女優の奈良岡朋子氏は、

 

 私はいつでも煙草をやめられたし、やめてもいいと思っていたんです。だけど、「奈良岡さん、そこ、煙草吸ってみて」って言われるから、全然、禁煙にならない(笑)。役者だからしょうがないんです。……

 

 とお二方は、「自分はいつでも煙草を止められる!」と、ご自身の御立派さを吹聴しているようですが、又、次のようにも語っています。

 

高橋章子氏は

 

 雑誌の編集の仕事をしているときは、もう、140本ぐらい、バンパン吸っていました。

お酒を飲むと、さらに本数が増えて15箱で100本ぐらい。お酒を飲んで、おしゃべりして、煙草を吸う。これを続けているとストレスが全然たまらないんです。

 

奈良岡朋子氏は、

 

一番よく吸うのは打合せや台本読み、立ち稽古がある時ですね。そういうときは神経がピリッと立っているから、どうしても吸ってしまう。ちょっとひと息入れる時なんかに吸うと、緊張感がほぐれる。唯一のストレス解消法です「今日も元気だ! 煙草がうまい!」というコピーがありましたけれど、本当にその通りですね。それから、おいしい料理を食べた後の一服も、至福なんですよ。

……嗜好品なんだから自由でいいじゃないですか。……

 

 この様に、ストレス解消を煙草に頼っているのは、ニコチン中毒を自白しているだけではありませんか!?

 

 この件に関しては、朝日新聞(2003816日付け)に、杏林大学教授(神経内科)の作田学氏は次のように記述されています。

 

……

 たばこは決して趣味、あるいは嗜好品と言えるものではない。依存症を形成して、やめたくてもやめられなくなるものであることを確認しておきたい。

 その証拠に23時間ごとにたばこを吸いたくなるのはなぜだろうか。酒を勤務時間中に飲む人はいないが、たばこは勤務時間とを問わず吸ってしまう。これこそが依存症たるゆえんだ。禁煙に成功した多くの人が太るが、この体重増加もニコチン依存症であった証拠である。

……

たばこを吸うと落ち着く、いらいらが静まる、ストレスがなくなるというのはまやかしである。ニコチンの禁断症状でいらいらするのが、たばこを吸うことで取れるだけなのだ。この意味において、愛煙家という言葉は誤りである。「ニコチン依存症」と呼ぶべきで、百歩譲っても「喫煙習慣者」というのが正しい表現であろう。……

 

本当に、お二方は、いざというときに煙草を止められるのでしょうか?

でも偉大なるお二人ですから、或いは自主的に禁煙も可能なのかもしれません。

 

 しかし、

大谷氏は “私は、意志が弱いから禁煙出来ない”

安原顯氏は、僕のようなニコチン中毒の意志薄弱者にとって、禁煙は至難なんです

高橋章子氏は、父親は「煙草をやめるのは本当に辛い」と言っていたけど……

と語っていますように、一般的には、禁煙は困難なのでしょう。

 

従って、喫煙に関して、以下の言を吐く偉人高橋氏の頭の中身を私は疑ってしまうのです。

 

「何がダメ」かを押しっけるのではなく、「何でダメ」なのかを子供が自分で判断できるように教えていくことが大人の役割ではないか

 

 喫煙(中毒)に関しては、一般的なしつけでは駄目なのです。

吸い始めてしまってからでは遅いのです。

高橋氏ご自身も、喫煙の動機とその後を次のように語られているではありませんか!?

 

いつも男どもは一斉に「労働の後の一服」をはじめる。みんな、とっても旨そうに吸うんですよ。

 アトリエの前で「さあ、これから何かを創るぞ」という雰囲気が出ていて、「セレモニーとして格好いいな」と思ったんです。それで私も吸ってみたら、意外とおいしい。それから気分転換の時に吸うようになりました

 

 若者達は「煙草が、何でダメ」かの理屈を、充分知っているのです。

 

ですから、

ヘビー・スモーカーだったユル・ブリンナー氏が、1983年に肺癌の診断を受け、余命いくばくもない事を知り、死(19851010)の直前に禁煙を訴えるテレビのコマーシャルに出演され、このコマーシャルが彼の死後に放映されて、全米の人々に喫煙の恐ろしさを人々に訴えたのですが、このブリンナー氏の善意も多くの若者喫煙を阻止する事は出来なかったのではないでしょうか?

 

 若者は、悪いと知っていても悪い事をするのです。

その例は次の「スポニチアネックス(「若者はマナーが悪い」自覚しているけど… )」の記事に見られます。

http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2003/06/08/06.html)

 

 大学の新入生の8割以上が「若者はマナーが悪い」と自認していることが東洋大(東京都文京区)のアンケートで明らかになった。気になるマナー違反は「電車で席を独占」「授業中の携帯電話の着信音」など。車内の化粧や飲食は、直接には迷惑にならないからか「気にならない」という学生が多かった。

 

 「最近の若者はマナーが悪いと思うか」との設問には「とてもそう思う」「そう思う」を合わせると83%がマナーの悪さを認めた。

 電車内で気になるマナー違反は「詰めて座らず席を独占」が90%でトップ。次いで「床に座る」85%、「お年寄りに席を譲らない」84%の順。

 親世代がまゆをひそめる「化粧」は56%、「物を食べる」も49%。

 授業中では「ケータイ着信音」が94%とダントツ、「私語」も74%に上った。しかし「メール交換」は48%、「飲み物持ち込み」も31%だけで、他人に迷惑がかからなければ構わないという意識が強いことがうかがえる。

 

 では、何故若者達は、悪いと知っていて、その悪いままでいるのでしょうか?

 

 私は、時折、東大の研究所に足を運びますが、ここのキャンバスで煙草を吸って歩く学生を目にする事はありません。

ところが、某私立大学のキャンバスでは、「歩行中禁煙」の立て看板が至る所に立っていますが、殆どの学生はくわえ煙草で悠然と歩いています。

 

 これは、東大の学生が人間的に優れていて、某私立大学の学生が劣っているからでしょうか?

私はそうは思いません。

 

単に、

「赤信号みんなで渡れば怖くない」

の明言通りなのです。

 

この明言の実例を、何ヶ月か前のNHKテレビで見ました。

 

 或る商店街(下北沢でしたっけ?)のシャッターが軒並み落書きの被害にあっていたが、全ての落書きを消し去り、その後一寸でも、落書きされたら直ぐに消すとの対策をとった後は、落書きされる事はなくなった。

 

 事実、落書き者へのアンケートの結果の80%(位でしたかしら?)は、「落書きされていないところに落書きする事へは、抵抗があって出来ない」でした。

 

 そして、このもっと端的な例が、今朝の読売新聞に記載されていました「破れ窓理論」でしょう。

 

破れ窓理論で治安再生

 ジユリアーニ氏は一九九四年にニューヨーク市長に就任。軽微な犯罪を放置すると地域全体の治安が悪化するという「破れ窓理論」に基づく施策で、八年間の任期中に同市の犯罪を激減させた。

 

 私が、1980年代前半にニューヨークへ行った際の、地下鉄は次のような落書きだらけでした。

 

1980年代前半のニューヨーク地下鉄


そこを、ジュリアーノ氏は、ニューヨーク市内の窓ガラスの破れを1枚たりとも放置しない(地下鉄の落書きを一箇所たりとも許さない)態度が、NY市の治安が回復したのです。

(昨年、ヤンキースの松井選手が、スタジアムへ向かう際に乗った地下鉄は、実に綺麗でしたよね。)

 

 従って、次のような一般人からの苦情に尻を捲る高橋氏は、破れ窓理論等を御存じないのでしょうか?

 ここ10年ぐらい、「煙草を吸っている写真は掲載できないから、撮影の時は煙草の火を消してもらってもいいですか」と言われることが多いんです。記事のテーマが煙草に関係ないのに煙草の写真を載せると、「未成年も読むんだよ、煙草を勧めているのかね」と必ず抗議がくるらしいんですね。……

 

 若者の心を掴むのは、ヘビー・スモーカーだったブリンナー氏の今わの際での「喫煙の恐ろしさを人々に訴え」よりも、日頃自分達が尊敬する偉人達の喫煙姿ではありませんか!?

 

 ですから、奈良岡氏の次の発言は、高橋氏同様に破れ窓理論等に無知としか思えないのです。

 

 今は喫煙者が目の敵にされていますけれど、他人に迷惑をかけるという点では、酔っぱらいのほうがひどいと思いますよ

 

 それでも、安原氏や、高橋氏は、次のように、子供のしつけや、エチケットは、親や教師の責任と考えているようです。

 

親や教師のしつけがなっていないだけで、すべてマナーで解決できる問題じゃないですか。……

エチケットを教える努力をしないで、いきなり「ここは禁煙」と条例を楯に決めつけるのは恐ろしい。「見張り」までたてるなんて、茶目っ気がないよね。

 

 でもこの方々は、最近日本で富みに云われている「武士道」をご存じないのでしょうか?

知らざー言って聞かせましょう!ではありませんが、『武士道(新渡戸稲造)』の第一版への序文をご覧頂きましょう。

 

約十年前、著名なベルギーの法学者、故ラヴレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。

あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」とこの高名な学者がたずねられた。私が、「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。そして容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。

 その時、私はその質問に愕然とした。そして即答できなかった。なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫たる教訓は、学校で受けたものではなかったからだ。そこで私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹きこんだものは武士道であったことにようやく思いあたった

 

 そして、この武士道の教育の第一段階は、次のようになりましょう。

 

名誉は武士階級の義務と特権を重んずるように、幼時のころから教えこまれるサムライの特色をなすものであった。……

 高名−人の名声、それは「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えはごく当然のことと思われた。その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。そして「廉恥心」という感性を大切にすることは、彼らの幼少のころの教育においても、まずはじめに行なわれたことであった。

人に笑われるぞ」「体面を汚すなよ」「恥ずかしくはないのか」などという言葉は過ちをおかした少年の振舞いを正す最後の切札であった。子が母の胎内にいる間に、その心があたかも名誉によってはぐくまれたかのように、この名誉に訴えるやり方は子供の心の琴線にふれたのである。なぜなら、名誉は強い家族意識と結びついているので、真の意味では出生以前から影響を受けている、といえるのである。

……

 まことに廉恥心は人類の道徳意識の出発点だと私には思えるのである。「禁断の木の実」

を口にしたために、人間が蒙らねばならなかった最初にして最後の罰は、産みの苦しみでもなく、イバラやトゲの痛さでもなく、私にいわせれば羞恥の感覚の目覚めであった。

 

 この様に、新渡戸稲造は「武士道」はもとより「人類の道徳意識」の出発点として、

 

“「廉恥心」即ち、「人に笑われるぞ」との言葉が少年の振舞いを正す最後の切札であった”

 

と述べているのです。

そして、この「廉恥心」にしろ「人に笑われるぞ」との言葉は、健全なる世間の目がなくては成り立たないのです。

即ち、親と先生だけでは、子供のしつけは出来ないのです

世間の目が必要なのです

この世間の目を忘れたところに、人に迷惑書けなきゃ何やったって良い的発想で、先の東洋大学のアンケート結果が、

 

 電車内での「化粧」、「物を食べる」。講義中の「メール交換」、「飲み物持ち込み」も、他人に迷惑がかからなければ構わないという意識が強いことがうかがえる。

 

となってしまうのです。

 

 そして、大変残念な事ですが、若者に限らず、私達下種な人間は、

偉人達の長所を学び向上しようとするよりも自分の欠点と同じ欠点を偉人の中に見つけようと努め、万一それが見つかるとその欠点の中に安住する傾向があるのです。

(ですから、偉人達の喫煙姿を見ることで、若者達は、自らの喫煙に対する免罪符を得た思いがするのです。)

 

 しかし、マスコミに登場する偉人達は、“そんな下世話な世間に関わり合っている暇はない!”と、尊大な態度をとられるかもしれないのですが、日本のマスコミに登場するような偉人達は、テレビでお見受けする際には、御立派な衣装をまとっておられますが、本当に御立派な方々なのでしょうか?

 

 多くの製造業の方々は、賃金の安い東南アジアなどの後発国の製品に負けない為に、彼等に負けない技術等を磨き、又、世界に市場を開拓もしています。

 

でも、日本のマスコミに登場する偉人の方々は、日本の中で活動している限りは、安いギャラの後発国の人材からの襲撃から、日本語、更には、日本の地域、文化の特異性と云う、いわば貿易障壁によって守られて優雅な暮らしを送って居られるように、下種の私は感じています。

 

 それとも、サッカーの中田選手、野球の松井選手達と同様に世界に打って出て活躍が出来ますか?!

 

 私達が日頃、後発国の人達よりも恵まれた生活が出来るのは、何故でしょうか?

日本人だから?

否!

なんだかんだ云っても、優れた技術などを開発獲得して行く勝ち組企業などの恩恵を被っているからだと思います。

 

 この様な意味からも、何度も“「働かざる者食うべからず」との言葉が頭から離れない”とテレビなどで語っていた、そして、英語での落語にも挑戦していた今は亡き桂枝雀氏が私は大好きです。

 

 でも、余りに生真面目に考えすぎて、鬱病に陥り自ら命を絶ってしまわれたのかと思ったりすると、もっと落語の登場人物のようにお気楽に人生を送られたら?……

 

 誰しも、聖人君子の人生を送るのは困難ではありましょうが、少なくとも偉人の方々は、ノーブレス・オビリージnobless oblige高い身分には(道徳上の)義務が伴うこと)だけは常に頭の中に叩き込んでいて欲しいものです。

 

 そして、このノーブレス・オビリージを日常意識していたら、作曲家の三枝成彰氏は、次のような新聞記事(毎日新聞:2003年1月24日付け)に登場しなかったはずです。

 

「喫煙派」三枝さんの講演に禁煙団体反発し中止に 

 日本公衆衛生協会(石丸隆治会長)は、来月1日に東京・銀座で開催予定だった「2003生活習慣病予防週間シンポジウム」の中止を決めた。シンポは作曲家の三枝成彰氏が講演する予定だったが、禁煙運動の市民団体が「以前から禁煙運動に反対している人物で、ふさわしくない」と再検討を申し入れていた。協会側は中止の理由を「このまま開催しても、効果は上がらないと判断した」と説明している。……

 三枝氏はサンデー毎日(98年2月25日号)で「喫煙だって、個人の自由社会的制限は、あまりに世間の風潮に乗り過ぎてはいないだろうか」などと主張。……

 三枝成彰さんの話 たばこは体に悪くないなどと言うつもりはないし、(中止を)怒っても仕方がない。ただ、(禁煙活動への)反対意見を自由に言えない社会は、ちょっとおかしいなと思う。

 

 誰も、三枝氏が“喫煙だって、個人の自由”と云う事には反対しないでしょう。

でも、三枝氏程の偉人なら、若者達への影響力は絶大なのですから、喫煙に関しては、その影響力を行使しないように配慮すべきと存じます。

ブリンナー氏の忠告よりも、三枝氏の喫煙姿の方が影響力が断然強いのです。

(若者への、喫煙免罪符を与えるべきではないのです。)

 

 そして、“社会的制限は、あまりに世間の風潮に乗り過ぎてはいないだろうか”とか“(禁煙活動への)反対意見を自由に言えない社会は、ちょっとおかしい”等は、先に安原氏の件でも述べましたが、私を悩ませるアスベストに対して、“アスベストが肺癌の原因になると云っても、それは疫学的な証明であるのだから、アスベストの使用を禁止する世間の風潮は可笑しい”とごねているようなものだと思います。

 

 それなのに、JTのホームページを見ますと、『大人の思いやりの商品「たばこ」』との題目で、次のように記述しています。

 

「たばこ」が好きだからこそ、思いやりと嗜みをもって吸いたい。

ここでは、そんな大人の「たばこ」の嗜み方を紹介します。

たばこを嗜むための思いやり

吸わない人への思いやりが、「たばこ」を一層おいしくします

「たばこ」は、好きな人もいれば苦手な人もいます
大切なのは、大人としての思いやりです。
周囲の人々への配慮は、愛煙家であることに好感をもって認めてもらうための第一歩です。

 

おかしいではありませんか!?

癌(又、間接的喫煙の害)には一言も触れていません。

更には、“アスベストを吸引していた喫煙者では癌の発生率がさらに高まる”のですから、肺の中にアスベストを蓄積している私も、他人の煙草はお断りです。

 

 若し、惜しまれつつ世を去った二人の名バリトンのヘルマン・プライ氏もエットレ・バスティアニーニ氏も、若き日にその喫煙を自分から(否!周囲から)阻止していたら、もっと多くの素晴らしい彼等の歌声を、私達は、楽しむ事が出来たのに!

特に、その絶頂期(42歳)に、喉頭癌で舞台を去る運命を背負ってしまったバスティアニーニ氏の無念さを思うとお気の毒で堪りません。

 私は、この事実を最近知り、それ以降毎日のようにバスティアニーニ氏のCD聞きながら胸を詰まらせているのです。

 

 最後にもう一度繰り返しますが、日本のマスコミに登場する偉人の方々よ、ご自身のプライベートでの喫煙には、何の文句も申しません

どうぞご自由に勝手に沢山吸って下さい。

そして、安原顕氏のように、肺癌で亡くなられるのも、あなた方偉人達のご自由です

(それこそ、最近云われた訳の判らない言葉『自己責任』です。)

なにしろ、マスコミに登場する偉人達、あなた方は、多額の出演料原稿料などを得ていますから、いくらでも、欲しい煙草を好きなだけ購入出来るのですから、どんどん吸って下さい。

 

しかし、その多額の出演料原稿料などは、あなた方の能力だけで、得られているのではないのです

若し、日本語という言葉の障壁や、文化と云った障壁(いわば貿易障壁)に護られているから、あなた方のライバルの侵入が防がれているのです

その結果、いわゆる勝ち組企業の恩恵を存分に享受されて、私達よりも豊かな生活を満喫しておられるのです。

 

 この事実をも良くご認識の上、ノーブレス・オビリージnobless oblige高い身分には(道徳上の)義務が伴うこと)だけは全うして頂きたいものです。
(なにしろ、偉人の方々は、偉人で有ればある程、一般人、特に若者達への影響力が強いのですから!)

 

即ち、「公的な場では偉人達は喫煙を差し控える」です。

 

(蛇足)

 私的な場所での偉人達の喫煙には、何の文句もありません

どうぞ、ご存分に!

 

(注:1「煙草と心筋梗塞」)

http://www.yamashita-hp.jp/g/40h41j0401.htm)

煙草は、高血圧、高コレステロールと並んで、心筋梗塞の3大原因の1つです。
 煙草を1日20本以上吸う人が、心筋梗塞になる危険性は煙草を吸わない人に比べ3倍あります。
 煙草を吸いますと煙草に含まれているニコチンが、心臓を養っている冠状動脈と言う血管を縮め、血管の流れを悪くし、更に煙草から出る一酸化炭素が血液に入りますと、血液の内の大事な酸素を押しのけて一酸化炭素ヘモグロビンとなりますので、体の内が酵素不足状態になり、血圧が高くなったり、心筋梗塞がおこり易い状態になります。

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