読売新聞を購読して(2)
2004年3月21日
宇佐美 保
以下数行は、前文「読売新聞を購読して(1)」の書き出しです。
この3か月は、読売新聞の販売拡張員氏に釣り上げられて、読売新聞を購読しています。
でも、紙面に目を通した事は殆どありません。
何故なら、全紙面が社主の渡辺恒雄氏の管理監督が十分に行き渡っていて、読む前からどんな事が書いてあるかが判ってしまうのですから。
でも、2度ほど、おや!と思って目をとめました。
その一つは、今日の編集委員橋本五郎氏のコラムでした。……
との書き出しで前文を書きました。
そして、今回は、もう一つの、「おや!」を次に続けます。
それは、3月1日付の編集手帳での次なる記述です。
「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」で知られる小説家アレクサンドル・デュマが、フランスに貢献した偉人としてパリのパンテオン(万神殿)に祭られたのは、生誕二百年目の一昨年のことだった ◆殿堂入りが遅れたのは、デュマの父親がハイチの黒人奴隷出身であったため、人種的偏見による反対論が強かったからだ。 その父祖の地が、いま無政府状態に陥っている。デュマも心安らかではいられまい◆…… ◆ハイチは二百年前、黒人奴隷が建国した世界初の黒人共和国だ。 歴史は輝かしい。それでも、暮らし良い社会を作れなければ民主主義は定着しない。 |
この記述を目にして、“へえ!そうなんだ!デュマの父親がハイチの黒人奴隷出身であったなんて、今まで知らなかった!”とこの記事に感嘆し、 読売新聞も捨てたものではないなと思いました。
そして、友人に対して、この「デュマの父親」の件を知っているかと得意になって威張ったら、軽蔑されました。
余丁町散人のホームページを良く見るようにと云われました。
そこには、「2002.12.2ルモンド紙」を、以下のように訳して下さっていました。
(本当は全文を引用させて頂きたかったのですが、失礼と存じ涙をのんで一部を抜粋させて頂きます。
どうか、全文を、余丁町散人(橋本尚幸氏)のホームページでご覧頂きたく存じます。)
混血のフランス 11月30日、アレクサンドル・デュマがパンテオン入りをしたが、デュマと共に一つの強い風がこの殿堂(パンテオン)に吹き込んだ。文章が無限の言葉となり、生命が肥沃な小説となるような、激しい抵抗しがたい生命のほとばしりが、この殿堂に入ったのだ。…… なぜなら、彼は、三銃士やモンテ・クリスト伯などの、フランス文学の必須の作品群の作者としての永遠の神話的存在ばかりではないのだ。デュマは同時に、共和党員であり、社会改革に激しく取り組んだ人間であり、ガリバルディの赤シャツを着たバリケードの英雄を支持した人間なのである。そういう人間としてシラク大統領は今回デュマをパンテオンに入れたのだ。…… 最後に、もっとも大事なことだが、彼は白人と黒人の混血児であり、人種差別主義の犠牲者であり、奴隷の子孫であり、奴隷売買の目撃者であったのだ。要するに「混血のフランス」のシンボル的存在なのである。この「混血のフランス」こそが、デュマと共に、本来あるべきところ、すなわちフランスの国家アイデンティティーの心臓部分(パンテオン)に受け入れられたのである。 アフリカ奴隷女の孫、アレクサンドル・デュマは、同じ名前のアレクサンドル・デュマ将軍の息子であるが、父のデュマ将軍は、奴隷小屋に生まれ、1776年に身分証明書なしでフランスに渡り、ルイ16世に仕える一介の竜騎兵となったが、その能力と勇敢さが飛び抜けており、「革命の将軍」にまで出世した人間であった。 |
読売新聞は、「デュマの父親がハイチの黒人奴隷出身」と記述しているが、ルモンド紙は、「アフリカ奴隷女の孫、アレクサンドル・デュマ」との記述しているのだ!
そして、シラク大統領とは、この様な人物をフランスの国家アイデンティティーの心臓部分(パンテオン)に受け入れられた人なのだ!との感銘を受けました。
そこで、念のために、平凡社の百科事典を当たると次のように書かれていました。
フランスの劇作家,小説家。息子もまたアレクサンドル・デュマと名のったので,ペール
(父)を名につけて区別している。アレクサンドル・ダビ侯爵と黒人女との間にサント・ドミンゴ(イスパニオラ)島で生まれたデュマ将軍(1762‐1806)の息子。劇,歴史,小説,旅行記などさまざまな分野にわたる300以上の作品を書き,旺盛な活動力で波瀾に富んだ生涯を送り,19世紀で最も大衆に人気のあった豊饒の作家。……
やはり、友人の指摘のように読売新聞の記述は間違いのようでした。
こんなとんでもない間違いが、何故厳しいナベツネのチェックを潜ってこの世に罷り出てしまったのでしょうか?!
どうも私にとっては、読売新聞よりも、橋本氏のホームページの方がずっと有益だと思われました。
目次へ戻る