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ケネディー暗殺はジョンソンの陰謀

20031126

宇佐美

 

 昨夜のテレビ朝日:ニュースステーションでは、ニューヨーク支局の内田忠夫氏によって「ケネディー暗殺はジョンソンの陰謀」を裏付ける衝撃的な事実を、バー・マクレラン氏へのインタビュウーと、マクレラン氏の告発本《BLOOD,MONEY&POWER(血と金と権力)》に基づき紹介してくれました。

 

 番組をご覧にならなかった方も居られるでしょうから、昨夜の番組(善良なる国民は、“偉大な国家の指導的役割を担う人物達は、当然立派な方々であろう”と日頃思いがちですが、本当かしら?と疑う必要性を感じさせてくれた番組)の大略を以下に紹介致します。

 

1)「ケネディー暗殺はジョンソンの陰謀」と告発したマクレラン氏とは?

 バー・マクレラン氏は、現在の大統領報道官であるスコット・マクレランの父親であり、ケネディー暗殺の3年後の1966年、当時大統領だったリンドン・ジョンソンの顧問弁護士の一人となり、他では知り得ない情報に触れてきた方だそうです。

 

2)マクレランが、「ケネディー暗殺はジョンソンの陰謀」との疑いを持った切っ掛けは?

 マクレランが、「ケネディー暗殺はジョンソンの陰謀」との疑いを持った切っ掛けは、1966年弁護士としてクラーク弁護事務所入った時、同僚の一人から“実は、ケネディーの暗殺はクラークが仕掛けたのだ”と言われたことであって、このエドワード・クラーク氏(弁護士事務所経営者)は、34年間ジョンソンの顧問弁護士を務め、ジョンソンの公私にわたるあらゆる問題を引き受けてきたと言われる人物であるとの事。

 

 そのクラークが、11年前に他界した事を契機に、マクレラン氏は本格的にケネディー暗殺の調査に乗り出した。

 

3)ジョンソンとクラーク(暗殺共謀者)との繋がり

 テレビ画面には、ケネディー暗殺の10年前、ジョンソンからクラークに送った手紙が映し出されます。

 

 1949年、クラークはジョンソンに「始末すべき人物がいる」との手紙を書くと、翌日ジョンソンから、「君のリスクは承知している、身の安全は保障しよう」と返事している。

共同謀議はこの様に、クラークが計らいジョンソンが身の安全を保障する、そして、陰謀が二人の絆を強くしていった。

 

 1961120日ケネディーが大統領に就任すると、ジョンソンからクラークへ大統領を護衛するシークレット・サービスのマニュアルを分析するよう依頼した事実が判明した。

ジョンソンが大統領の警護プランをクラークに渡したのは、警護の盲点を探す為で、これが暗殺の第一歩と理解される。

 

 オズワルド(ケネディー暗殺者として逮捕された)を射殺したジャック・ルビーの弁護士に、クラークの部下が、しゃべらないように口止めした手紙も見つかった。

しかし、これではジョンソンが暗殺の首謀者であるとの決定的な証拠とは言えない。

 

 謎を解く鍵は、スパイナーズ・ネスト(教科書倉庫6階の角の部屋)にあった。

 

 ケネディー暗殺を調査したウォーレン委員会は、この部屋に残っていた指紋について重大なミスを犯していた。

 

 部屋から見つかった指紋がオズワルドの指紋かどうかだけに拘り、照合の終わっていない指紋が28在ったにも拘わらずこれらをウォーレン報告書にも含めなかった

 

 これら未照合の指紋の中にジョンソンと関係のある人物の指紋があるのでは?と調査を進めていくと、ジョンソンがケネディー暗殺の2年前に殺人事件に関与している事実を突き止めた。

 

4)ジョンソンと暗殺実行部隊長(ウォレス)との繋がりは?

 196163日テキサス州の牧場で違法な資金流用の捜査をしていたマーシャル捜査官の変死体が見つかった。

事件は一旦、自殺として処理されたが、23年経った1984年、ジョンソンと親しい人物が大陪審で「ジョンソンがマック・ウォレスに命令してマーシャル捜査官を殺させた」と証言して、裁判者は証言を認めて殺人事件と断定した

 

 だが、ジョンソンとウォレスは既に死亡していた為、起訴される事はなかった

 (マクレラン氏は、当時の事件目撃者の供述に基づき書かれた似顔へと、ウォレスの写真とをテレビ画面に紹介してその一致性を示しました。)

 

5)ウォレスが何故暗殺実行部隊長といえるか?

 マクレラン氏はジョンソンが殺人依頼したウォレスに注目した。

彼は過去に殺人容疑で逮捕されていたので、彼の指紋が入手可能であった為、この(ウォレスの)指紋を教科書倉庫に残されウォーレン委員会で未照合だった28の指紋に照合した結果、その一つにぴたりと(4人の専門官が断定)一致した

 その上、彼の目撃証言も存在する。

又、ウォレスは教科書倉庫ビルの下で警官に職務質問された時、「自分はシークレット・サービスだ」と答えている。

 そして、シークレット・サービスのバッチは副大統領を通してのみしか入手出来ないだ。

 

 即ち、ケネディー暗殺の命令を下したのは、当時の副大統領であったジョンソン、計画を立案したのは顧問弁護士のクラーク、実行部隊長はウォレス。

(オズワルドは、彼自身も言っているように、おとりとしてウォレスの部隊に入っていた。)

 

6)もう一人の狙撃犯

 ケネディーに致命傷を与えた銃弾を撃ったジュニアと呼ばれる狙撃犯がいたが、彼に関しては、ウォレスのような指紋や目撃証言がないので、数人の疑わしい人物がいるものの確証は掴めていない。

 

7)ジョンソンがクラークへ払った報酬

 ジョンソンの大統領在任中の4年間でクラークは400万ドル受け取っていた

更に、400万ドル要求したが、ジョンソンには2期目がなかったので、結果として200万ドル受け取っていた。

 これらは、クラークの納税記録で確認可能。

 又、クラークはジョンソンの大統領在任中にオーストラリアの大使に任命されていた。

 尚、暗殺実行部隊長のウォレスは1971年交通事故死している。

 

8)支払いはジョンソン自身でなく石油会社

 実際の支払いは、ダラスの石油会社であって、その際はマクレラン氏も関与していた。

又、その金はダラスの報酬だった。

 

9)何故、ジョンソンはケネディーを暗殺したか?

9-1)心的動機

    大統領への野心と権力願望が動機

    ジョンソンは民主党大統領候補使命争いで、若いケネディーに及ばなかった事をずっと根に持っていた。

9-2金銭への執着

 心的動機以外に、別の動機があるのではないか?との久米宏氏の問いに対して、以下は、内田氏の答え。

 マクレランさんの本のタイトルの真ん中に書いてある「マネー」ですね。

お金という点で、このリンドン・ジョンソンは色んな人が言っているんですけど、表裏を問わず、もう非情にお金に執着する人だった。

 特に、石油産業、軍需産業との繋がりが強かった。

この暗殺事件の起きた63年の中頃にケネディー大統領は、ベトナムへの介入を決断した。しかし、これは余り深く介入してはいかんという事で、早く撤退しようという決断をした

 これはジョンソンにとってはとんでもない話であった。

ベトナム介入によって潤うべき軍需産業が、撤退してしまったのでは潤わなくなってしまうのだから、これはもうジョンソンにとっては心外な事であった

 これは、マクレランさんも言っていた事ですが。

こういった事が一つの背景にあったのではないかと私は思いますけどね。

 

 久米宏氏“まあ、当時は、民主党政権では在ったのですけれど、軍需産業、石油産業がバックにあると言う事は、今の大統領と随分似た雰囲気ですね

 

 内田氏“割合……特に、副大統領がね、似ているとこがあるのですよね”

 

 

 私には、現在のブッシュ政権の幹部達全部、そして、父親ブッシュも同じ穴の狢に思えます。

 

 彼等の様に、自らの金銭的欲望等を「正義」だとか「民主主義」だとか「国益」だとか言って誤魔化し、人々を死に追いやる指導者と、フセインとどっちが非人間的なのでしょうか?

 そしてその様な、他国の指導者に追随する為に、大事な自国の憲法までも変えてしまう指導者も如何なものでしょうか?

 

 この番組中で、ジョンソンは、大統領を退任してから4年後の1973年、テキサスの農場で心臓発作を起こして、65歳で死亡と紹介していました。

少しは、心臓にストレスを感じていたのかもしれません。

でもどうでしょうか?

このような人達は、ストレスなんか感じないのかもしれません。

なにしろ、クラークは1992年(86歳)老衰でなくなるまで生きたとの事ですから。


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