戦争とテロ
2001年10月28日
宇佐美 保
今回のアメリカでの同時多発テロにて犠牲になられたお方は大変にお気の毒とは存じます。しかし、アメリカ大統領の相次ぐ発言には吃驚しました。
以下に、ブッシュ大統領演説の新聞記事の抜粋を示します。
(以下の下線処理は私が施しました)
ブッシュ米大統領が11日午後8時半(日本時間12日午前9時半)、全米向けに発表した声明の要旨は…… 邪悪で卑劣な攻撃により数千人の命が失われ、わが国は深い悲しみに覆われている。国は混とんの状態と言える。今日、我々は悪の正体を見た。…… (毎日新聞9月12日) |
先ず、この演説から感じたのは、「テロは邪悪で卑劣と言うが、戦争は邪悪で卑劣ではないのかしら?」と思いました。
しかし、次の演説ではブッシュ大統領は、今回の“同時多発テロを「戦争行為」”と解釈しているのです。
ブッシュ米大統領は12日午前(日本時間同日深夜)、主要閣僚との会議後に声明を発表、11日の同時多発テロを「戦争行為」と非難し、敵対組織との戦いに全力を挙げる決意を表明した。 (毎日新聞9月13日) |
そして、自らも戦争を始めるべく次のように発言します。
この戦いは世界の自由にとっての戦いなのだ。私はすべての人が参加することを望みたい。そして我々はこれから、長い旅に出たいと思う。これは「自由対恐怖」「正義対残虐」の戦いだ。この戦いは常に行われてきた。勝利は必ずやって来ると確信し、行動しよう。
(毎日新聞9月21日) |
でも、「テロ」は残虐で、ブッシュの仕掛ける「戦争」が正義なのでしょうか?
そして、ブッシュ大統領は“アフガニスタン攻撃の開始”するのです。
アルカイダとタリバンに作戦開始 米大統領演説(8日 2:27) ブッシュ米大統領は7日午前11時50分(日本時間8日午前0時50分)過ぎからテレビ演説を行い、アフガニスタン攻撃の開始を国民に報告、「テロとの戦争」が始まったことを宣言した。大統領は、同時多発テロの容疑者、ウサマ・ビンラディン氏の拠点やタリバン政権の軍事施設などが主な攻撃対象と語った。 (毎日新聞10月8日) |
しかもこの米国の攻撃は、米国の敵側の手が絶対に届かない「アラビア海」からの「巡航ミサイル」攻撃なのです。
第1波はアラビア海の米英艦隊から発射 FOXテレビ(8日 2:36 ) ……米FOXテレビによると、攻撃の第1波はアラビア海に展開している米英の艦隊から発射された巡航ミサイルによるものという。その後、B2、B52戦略爆撃機が出撃、ウサマ・ビンラディン氏の組織「アルカイダ」が設営するテロリスト訓練施設を爆撃した。
(毎日新聞10月8日) |
更に、この攻撃は「一般市民への誤爆」を承知で行っているのです。
米英軍の空爆を批判 駐イスラマバード代理 アフガニスタン・タリバン政権のシャヒーン駐イスラマバード代理大使(41)は14日、毎日新聞の電話インタビューに応じ、米英軍が連日実施する空爆について「一人の容疑者を捕らえるのに、無実の民間人をすでにに400人以上も殺害した。こんな行為がどうして正当化できるのか」と激しく批判した。 また、「米国は来るべき第3次世界大戦を念頭に、世界で最も貧しいアフガン国民を標的に、最新兵器のテストをしているのではないか」とも述べた。 (毎日新聞10月15日) |
ブッシュ米大統領が11日午後8時半(日本時間12日午前9時半)、全米向けに発表した声明の「邪悪で卑劣な攻撃」とは、このように自分達は全く安全な場所(アラビア海)にいて、相手側に(巡航ミサイル)の雨を降らせる事ではないのですか?
ですから「タリバン側」(ブッシュ側は「テロ側」と言う)からは、“空爆はテロリストの攻撃”と言っています。
「空爆はテロリストの攻撃」 タリバンが声明(8日4:25) イスラマバードからの報道によると、米英軍の開始したアフガニスタン攻撃に対して、同国を実効支配するタリバン政権は7日、「空爆はテロリストの攻撃であり、米国はその目的を達しないだろう」との声明を出した。タリバンの駐パキスタン大使が発表した。 (毎日新聞10月8日) |
アルジェリアの独立戦争を描いた『アルジェの戦い』という映画に忘れ難いシーンがある。一人のゲリラが買い物カゴに爆弾を仕込みフランス人が集まる店で爆発させ、捕えられる。卑怯だと罵られたゲリラは「君たちは飛行機で我々を攻撃する。我々は飛行機を持っていない。君たちが我々に飛行機をくれるなら我々は君たちに買い物カゴをあげよう」と言って処刑されるのである。 (岸田秀氏:文芸春秋10月緊急増刊号) |
今回の同時テロに於いても、テロが、安全な場所に居ながら、米国に打ち込める「巡航ミサイル」を持っていたら、乗客を巻き添えにした飛行機によるテロは行わなかったでしょう。
そして、アメリカ更には世界の人々と同様に私も今回のテロは日本の「神風特攻隊」を連想させました。
ですから、小泉首相は今回のテロ犯達に深く心を動かされた事だろうと思いました。
ところが、次の10月9日の参院予算委での大橋巨泉氏(民主)の質問に対して小泉首相は次のように応じているのです。
「特攻隊に特別な心情を持つ総理は、突入したアラブ青年たちの心情をどう考えるか」。大橋氏はテロに絡め鹿児島県知覧町の特攻基地の記念館を見ては涙し、「いやなことがあると特攻隊の気持ちになれと(自分に)言い聞かせると公言する首相を皮肉った。首相は「理解を超える。若い特攻隊員たちは戦争のために軍用機で行った。(テロの実行犯は)信じられない」と動じなかった。 (朝日新聞10月10日) |
この小泉首相同様な見解を多くの人達が持つのは変ではありませんか?
例えば、
日本軍の特攻作戦は、国家間の激烈な戦争の中で、戦力が圧倒的に劣勢になった時に着想されたものだった。攻撃目標は主に敵の艦艇であり、一般市民のいる都市ではなかった。 その点では、ある意味で整然とした枠組みがあった。これに対し、パレスチナ過激派の自爆テロは国家間の戦争の中で生み出された作戦ではなく、イスラエルの強力な軍事力に抑圧されたパレスチナ人側の「武器を持たない者の対抗措置」として選択された作戦だ。パレスチナ紛争は国際社会では「戦争」とは見られていないが、パレスチナ過激派にとっては、恒常的に「戦争」が続いている状態なのだろう。それゆえに、彼らは「殉教作戦」という呼称を使い、自爆テロの目標をイスラエル軍の施設や部隊だけでなく、公共施設や市街地やバスなどあらゆるところに広げている。それは、ほとんど枠組みのない無差別攻撃と言ってよい破壊行為になっている。当然多くの一般市民が巻きぞえになっている。 (柳田邦男氏:文芸春秋10月緊急増刊号) |
本当に、小泉首相、柳田氏も、“日本軍の特攻作戦は”“攻撃目標は主に敵の艦艇であり、一般市民のいる都市ではなかった。その点では、ある意味で整然とした枠組みがあった”と考えておられるようですが、その日本軍が行った「風船爆弾」の攻撃はどうなのですか?
「風船爆弾」については、「愛国顕彰ホームページ」で、次のような記述を見ることが出来ます。
……晩秋から冬 太平洋の上空八千メートルから一万二千メートルの亜成層圏に最大秒速七十メートルの偏西風が吹きます いわゆるジェット気流です 風船爆弾は五十時間前後でアメリカに着きます 精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下したのち 和紙とコンニャクのりで作った直径十メートルの気球部は自動的に燃焼する仕掛けでした 第二次世界大戦中に日本本土から一万キロメートルかなたのアメリカ合衆国へ 超長距離爆撃を実行したのはこれだけであり 世界史的にも珍しい事実として記録されるようになりました 約九千個放流し 三百個前後が到達 アメリカ側の被害は僅少でしたが 山火事を起こしたり 送電線を故障させ原子爆弾製造を三日間遅らせた という事実もあとでわかりました オレゴン州には風船爆弾による六人の死亡者の記念碑が建っています |
この風船爆弾は“一般市民のいる都市ではなかった”と言えますか?
風船爆弾が太平洋を渡って行く間に、潮風の影響で起爆装置が錆びたりして、アメリカに“三百個前後が到達”しても、実際に爆発した数は少なかったそうです。
それでも、この爆弾は一般市民を狙った攻撃ではないですか!
そして、最も酷い、一般市民への無差別攻撃は、タリバンの言を待つまでも無く、アメリカによる広島長崎への原爆投下です。
若し、日本がアメリカより先に原爆を開発していたら、風船爆弾に原爆を搭載してアメリカ市民を攻撃していたのではないですか?
戦争には「整然とした枠組みがあった」等とは決して言えないと思います。
更には、「兵士は殺すのは善、一般市民を殺すのは悪」という論理自体も大変不思議な事です。
何しろ、広島長崎の一般市民に悲惨な被害を与えた原爆投下に対しては、加害側のアメリカでも被害側の日本でも有識者と言われる方々は、その非人道的な行為を忘れたかのような発言をしているのです。
先ず、アメリカの作家であるE・J・エプスティーン氏は次のような見解を披露します。
ニューヨークとワシントンを舞台にして発生したテロ行為は、前代未聞の衝撃的な事件であり、文明社会にきわめて大きな衝撃を与えた。死者・行方不明者の数は数千名に上り、被害総額は推定三百億ドルは下らないと見られている。 (文芸春秋10月緊急増刊号) |
“前代未聞の衝撃的な事件”は、エプスティーン氏のお国の日本一般日本市民への原爆投下ではないですか!
おまけに、日本の京都大学の教授であられる中西輝政氏は、次のように書きます。
今回の同時多発テロは、二十一世紀の最初の年に起こったという意味で、「新しい戦争の世紀」の始まりを象徴する事件といえる。冷戦終焉後の世界秩序についてさまざまな議論がなされてきたが、この十年の楽観的な見方が間違っていたことがよくわかった。 人間の想像をはるかに超えた非人道的、残酷な手段が使われたことに、世界が受けた衝撃は余りに大きい。 (文芸春秋10月緊急増刊号) |
こんな文句は先ず原爆投下したアメリカに投げつけて貰いたいものです。
そして、只、オサマ・ビンラデインが次のように語っているのです。
オサマ・ビンラデインはアメリカの批判をする時、よく日本の話を出す。広島と長崎に原爆を落として、罪のない一般市民、女、子供を虐殺するような国、それがアメリカだと非難するのだ。これがまた、軍人・民間人を区別せず無差別にアメリカ人をテロの対象とする理由としても語られる。オサマは日本について、どう思っているのだろう? (国連難民高等弁務官カブール事務所代表 山本芳幸氏:文芸春秋10月緊急増刊号) |
なのに、ブッシュは“「神の下で国の統一を」と呼びかけた”というのです。
……「国民の追悼の日」となった14日、全米各地で追悼集会が行われた。 首都のワシントン大聖堂では、歴代大統領や議会関係者が参列。キリスト、イスラム、ユダヤ各教代表が語り、犠牲者のめい福を祈った。ブッシュ大統領は参列者に「神の下で国の統一を」と呼びかけた。
(毎日新聞9月15日) |
何故、神が「ブッシュの戦争だけを」を支持されるのでしょうか?
私には大変不思議に思えます。
その上、ブッシュ大統領は、次のような演説をするのです。
各国は米国の側につくのか、テロリストの側か、選択しなければならない。 (毎日新聞9月21日) |
こんな一方的な発言に対して各国の首脳達の誰一人として(又、マスコミも)反対しないのは可笑しくはありませんか?
何故、各国の立場の選択肢が「米国側」と「テロ側」の2つしかないのですか!?
「テロ側」には反対だが、「米国側」とは別の行動をとっても良いのではないですか!
(例えば、「テロ側」への説得工作、勿論、説得は短期間には出来ませんが(マスコミも馬鹿にしますが)、新しい世界情勢の構築への準備は出きる筈です)
なのに、平和憲法を有する我が国の小泉首相は、アメリカの報復を支持してしまうのです。
首相『報復なら支持』 ……小泉純一郎首相は同日夜、首相官邸で記者団に「黙って見過ごすわけにはいかない。犯人を捜し出し、この重大な犯罪行為に対して断固たる処置を取ることはブッシュ米大統領にとって当然のことだ」と述べ、米国が報復すれば支持する考えを明言した。 …… (中日新聞9月13日) |
そして、次のブッシュ大統領の演説に見るように、又、ナチが巧妙に悪用したと言う広報活動を操り、国の支配者は、国民を我が物の如く、更には、有無を言わせぬ状態にして、戦場へ送り込むのです。
アフガン空爆開始に関する米大統領テレビ演説 ……私は最近、軍人の父を持つ小4の少女から感動的な手紙を受け取った。この困難な時代の米国について多くを語る手紙である。
「パパに戦争に行って欲しくないと思うのと同じ分だけ、パパをあなたにあげる」と、少女はその手紙で書いていた。 これはとても貴重な贈り物だ。少女が与えうる最大のものだ。この年若い女の子は米国とは何かを知っているのだ。…… (毎日新聞10月8日) |
小泉首相の感激する特攻隊の方々は、「学徒出陣」に対する各種の集会でのアジ演説に感動して、戦争に身を投じ、(軍隊の異常さに辟易しながらも、其処から脱出する事が不可能と悟り)輝く未来の日本への礎を築く為と自らに言い聞かせ、アメリカの戦艦へ体当たりしていったのではなかったのでしょうか?
彼らが今一度生まれ変わったら、特攻隊に再度志願するでしょうか?
そして、彼等のご家族ももう一度、彼らを喜んで特攻隊へ捧げたでしょうか?
(小泉首相の靖国参拝を彼らは期待するでしょうか?)
彼等の多くは、「靖国の神」となることよりも、自分の家族の為、日本国の未来のために命を捧げたのではなかったのですか!?
(この点も、テロ実行犯達も同じではなかったでしょうか?)
国民を戦場に送り込むか否かを決定するのは、国の指導者なのです。
ブッシュ大統領も、小泉首相も各国の首脳達も、「神」の名を口にするなら、自分達の政治生命、利益ばかりを考えずに、国民へ、いや、今では世界の人々に意を注ぎ、「神」に対して恥じる事の無い政治家であるべきです。
(補足)
……ブッシュ大統領がワシントンなどに向かう不審な民間機を撃墜する命令を米軍機に出していたことを明らかにした。 許可が出されたのは、ハイジャックされた旅客機2機がニューヨークの世界貿易センタービルに相次ぎ突入、別の1機がワシントン郊外の国防総省に突入した直後だった。副大統領は「もし、民間機がニューヨークやワシントンに接近するなという指示に従わない場合、最後の措置として米軍機による撃墜が決断されていた」と述べ、当時の混乱の中、これ以上の大規模な被害を防ぐため、民間機の乗員・乗客が犠牲になってもやむを得ないとの立場を示していたことを意味する。 (毎日新聞9月17日) |