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恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(6
(津波対策を実施した東北電力、原電、無視した東電)

2012314

宇佐美 保

 さて、何度も引用させて頂き申し訳ありませんが、東京新聞(たぐり寄せる記憶 2012.3.11)に於ける「オフサイトセンターで医療支援鈴木敏和さん(59)の証言」には次のような個所があります。

 

 

十二日朝、千葉市の放射線医学総合研究所から自衛隊ヘリで(福島第一原発から五`の)オフサイトセンターに向かった。……

 ところが周りを歩くと、ポンと放射線量が上がる所がある。原因は原発から戻った車。

放射性物質が漏れていると知りました。セシウムが出てることも。

メーカー時代は原子炉の設計担当。核燃料が破損しないとセシウムは出ません。

 そのうち屋外の線量が上昇します。センターの窓や扉を全部閉じるよう指示しました。

東電の武藤(栄)副社長(当時)の表情を見て、重大な事態になっている、と感じた。

 十三日には、センター隣にある県の緊急被ばく医療施設を自衛隊の協力で復旧して、十四日朝に給水車が来てシャワーも使えるようになった。その直後にセンターに戻ろうとしたら、閉め切った玄関ガラス扉の前に六人の自衛隊員がぼうぜんと立っていました。

一人は血が出ていましたでもセンター内の人はガラス越しに見ているだけ。(放射能汚染を防ぐため) 「扉を開けるな」と言われていたからです。

 隊員は、3号機の爆発に巻き込まれ、線量計を近づけると毎時一_シーベルトもあった。服を切り裂いて裸にしてシャワーを浴びてもらいました。切り捨てた迷彩服の線量計が次々に鳴りました。警報の設定値は二〇_シーベルト。医療備設の復旧が間に合ってよかった、とほっとしました。……

 

 

 「扉を開けるな」と言われていても、簡易的にカーテンなどで、二重扉にするとかして、傷ついてもいる自衛隊員をセンター内に一先ず入れてあげるのが、『人間の情』ではありませんか!?

 

センター内には、東電の武藤(栄)副社長は、勿論、先の拙文≪恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(3≫にも御登場頂いた元経産副大臣池田元久氏も居られた筈です。

 

 このような他人への思いやりに欠け、自己本位な方々の証言を民間事故調がまとめ上げても、「自己弁護的な証言の山」が築かれるだけではありませんか!?

 

 

 ところが(或いは、当然というべきでしょうか?)先の拙文≪川村晃司氏は東電の走狗に変身!?≫に書きましたように、東電の走狗となってしまった川村晃司氏(テレビ朝日コメンテーター)は、次のように発言しました。

 

 

 この福島原発事故検証委員会(民間事故調)は、非常に細かくよく出来ていて、……東電が拒否しているんですけど、東電が逆にこの検証委員会の調査を受けなかったからこそ、或る意味で却ってよくて、全ての官僚や政治家が克明にしゃべっている。ですから、これに書いてあるからと言って、国会や政府もかなり縛られますけど、

 

 東電の走狗の川村さん!

どうして、「東電が逆にこの検証委員会の調査を受けなかったからこそ」「全ての官僚や政治家が克明にしゃべっている」となるのですか!?

 

 私は、何度も訴えているように、「後出しジャンケン」、「自己弁護的な」の証言がどれだけ書かれていたとしても何もなりません。

 

 

 更に、川村氏は続けました。

 

これを例えばの話、調査委員会の田崎さん(元検事総長)に対して“あなたが検事総長であったらば、原発政策を含めて、今回の事故を含めて、どういう起訴状を書きますか?”との興味深かい質問があって、田崎さんは“すでに時効になった人も多いので、起訴状をすぐに一面的に書くことは出来ない、つまり、自民党政権も含めて、時効になった人が、今回の事故の責任者として多々居るんですよ、従ってこれは構造的な問題なんです。”と言うとともに“企業というのは必ず、コストを意識します。だから絶対に安全だということは言えない、例えば防潮堤を何百メーターに作ればいいのかという話になるんで”、

 

 

この田崎答弁では、“企業は利益を追求するから、明らかに原発安全神話は間違いであり、原発は停止すべしとの起訴状を書きます。 ”と言うのなら私は納得できます。

しかし、この田崎答弁は、“原発で事故が起こってもしょうがない”を意味しています。

この答弁を川村氏は称賛しているのです。

 

川村氏は、東京新聞(2012.3.7)の記事(女川原発を救った眼力 高さ15bの建設主張 東北電元副社長「技術者は法律より結果責任」)をご覧になりましたか?

その一部を引用させて頂きます。

 

 女川原発は、何度も津波の被害を受けた三陸のリアス式海岸の南部に立地する。周辺には内陸部まで津波が迫った伝承が多い。

 八六九(貞観十一年の貞観津波、一六一一(慶長十六)年の慶長津波では、ともに当時の海岸線から四`以上離れた場所で津波の痕跡が確認されている。

 そんな地域に生まれ育った東北電力の元副社長が、1号機の建設時、強硬に「高さ十五b」を主張した。故平井弥之助氏(一九〇二〜八六)。副社長を退任後、電力中央研究所に移り、女川原発建設に向けた社内の「海岸施設研究委員会」のメンバーとなった。

……

 女川原発の敷地をめぐっては、社内で十二b程度で十分とする意見もあった。だが平井氏は譲らず、社内の検討委員会も十五bを妥当と結論づけた。

大島さんは「平井さんは、海岸を知っていた。十五bに確たる根拠があったわけではないが、経験と直感で導き出された安全な数字だったはず」と振り返る。

 七〇年に国に提出された1号機の原子炉設置申請書では、周辺の津波の高さは想定約三bにすぎない。だが原子炉建屋の敷地は一四・八bとされた。

 津波対策は敷地の高さだけでなく、「引き波対策」にも表れている。取水口の内部に段差を設け、波が引いて取水できなくなっても冷却用の水が確保できる。「四十分間は冷却が続けられる」(東北電力)という設計は、七四年の変更申請で実現した。

東芝のプロジェクトマネジャーとして計画に携わった小川博巳さん(73)は「東北で津波を考えなかったら何をやっているんだということ。そういう雰囲気が東北電力内にあった」と話す。

……平井氏は、常々こう語っていたという。

 「法律は尊重する。だが、技術者には法令に定める基準や指針を超えて、結果責任が問われるんだ」

 設計をすべて米国企業に委ね、「想定外」の津波対策を怠った福島第一と女川の違いは、東北の津波を甘く見なかった先人の眼力の差だった。

 

 

更には、朝日ジャーナル臨時増刊(201239日発売)には、永尾俊彦氏のルポが載っています。

 

…… 日本で初めて原子の火がともった茨城県東海村が、にわかに注目を集めている。311後、村上達也村長(69)が「脱原発」を宣言したからだ。……

津波があと80aほど高ければ、福島第一原発と同じようになっていた、と聞いた時はゾーッとして背筋が凍りましたね」

 茨城県東海村の村上達也村長は、昨年311日の東日本大震災で、日本原子力発電(原電)の東海第二原発も危機一髪だったと知った時の恐怖をこう振り返る。

地震で外部電源が断たれ、非常用発電機を使って冷却を続けたが、その発電機用の海水ポンプを高さ53bの津波が襲っただが原電が、県の津波想定の引き上げを契機に、高さ61bの側壁を震災の半年前に設置していたことで、破局を免れた

 

 

ところが、東電の福島原発はどうだったでしょうか!?

毎日新聞(20111128日)の記事の一部を抜粋させて頂きます。

 

 2008年に東京電力社内で、福島第1原発に想定を大きく超える津波が来る可能性を示す評価結果が得られた際、原発設備を統括する本店の原子力設備管理部が、現実には「あり得ない」と判断して動かず、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策が講じられなかったことが27日、分かった。東電関係者が明らかにした。……

 東電は08年春、明治三陸地震が福島沖で起きたと仮定、想定水位5.7メートルを大幅に超え最大で水位10.2メートル、浸水高15.7メートルの津波の可能性があるとの結果を得た。東電関係者は「評価結果をきちんと受け止めていれば、建屋や重要機器の水密性強化、津波に対応できる手順書作りや訓練もできたはずだ」と指摘している。

 ……

 

女川原発は建設時から、又、東海第二原発では、「県の津波想定の引き上げを契機に」津波対策を講じ、今回の津波による原発事故を免れています。

(川村氏の「例えば防潮堤を何百メーターに作ればいいのか」ではなく、その時点で考えられるだけの対策を講じているのです。

しかし、東電はそれを講じず、事故を起こしたのです)

 

 

このような事実を知ってかどうか?

田岡俊次氏(朝日ニュースターコメンテーター)は、

 

“相当人災の部分がありますから、東電の役員全員首にするとか……”

と発言しました。

 

この発言に対して、他の出席者(川村氏以外)も同調しました。

 
しかし、川村氏は

“そうすると日本の国会議員の主な人は、みな退場しなくてはならない。これは戦後の電力政策というか本来東電は財閥解体と同じような形でGHQは解体したかった。それも地域独占を止めて、小さな会社に分散する方針を、政治の力、東電も含めて、国策のもとではねのけて、その担保が原発政策であった。アメリカも欠陥品と分っていたマークTを福島に持ってきた。GEの言うとおり欠陥品としてストップしていたらアメリカの原発政策がうまく行かなくなるという事情があった。……”

と東電弁護(?)を開始しました。

 

 

これに対して、今井一氏(ジャーナリスト)は次のように噛み付きました。

 

主だった国会議員が総退場になるんだったら、そうなればよいではないか!政治責任から言ったら、時効なんてない、名指しで、戦犯として明らかにして総退場させなくてはならないのに、……”

 

又、時効の件では、愛川欣也氏は

“放射能はこれから何万年も残るのに、時効なんかない。”

と発言されます。

 

 

更に、「東電の走狗(?)」となった川村氏は、次のようにも発言していました。

 

これはもう最初にパンドラの箱を開けてしまったという認識を持たなければならない。そこのところで東電が責任をないがしろにしているんだという部分で、逆に国を訴えることもできるんです。つまり1000億円の損害賠償の法律を国会で作っているのですから、国会で作った法律以上の天変地異については政府が責任を持つんだと法律上にもそうなっているんだから、私達はもうこれ以上法律のもとで、最大の責任を果たしましたけど、あとは国が責任をとって下さいね。(で済むのに)何故、国に対する賠償を東電がやらないかというと、それをやったら国有化になってしまうからです。

 

 

 「東電の走狗(?)」の川村さん、どうか「東北電元副社長故平井弥之助氏の「技術者は法律より結果責任」」を胸に刻んでください。

 

 更には、≪恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(7≫へと続けさせてください。

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