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私財をなげうって町民を津波から救う(東京新聞より)

2011529

宇佐美 保

 『東京新聞(2011.5.24夕刊)「大震災と日本の変革(中)地域が世界に繋がる」』の中で、松本健一氏(評論家、麗澤大比較文明文化研究センター長、内閣参与)が、次のように記述されていました。

そして、大きな感銘を受けましたので、全文を此処に掲載させて頂きます。

 

 

 東日本大震災では、中国・韓国・アメリカ・スイス・ニュージーランド・台湾をはじめとする世界百数十カ国・地域からの援助の申し出を受け、援助隊や支援金・物資が返られてきた。そういった国際的支援のありかたは、一国内に閉じていた地域の文化を大きく世界に開くことになるだろう。これが(第三の開国)の一つのかたち、といえるかもしれない。地域が国家に繋がるとともに、広く世界に繋がろうとしている。とくに、日本の文化が中国や韓国をはじめとするアジアに繋がっている歴史を今後つよく意識することになる

だろう。

 わたしが、いま進めようとしている計画の一つに、「東アジア共生会議」がある。いずれ、東アジア諸国に参加を呼び掛けるつもりだが、まずは日本の一地域の文化がアジア一地方の文化と深いかかわりをもっていることを再認識しよう、という計画である。

 神奈川県の開成町は、一七〇七(宝永四)年に大噴火した富士山から流れ出た溶岩で、太平洋に注ぐ酒匂川が塞き止められ、大洪水をおこし、町中が水に浸かった。このとき、私財をなげうち村民に働きかけて川を掘り直し、土堤を築いた篤志家がいた

かれは水利工事が完成すると、そこに「禹碑」を建てた。日本で唯一の禹碑である。

禹とは、中国の神話上の「聖王」である堯・舜・禹の禹で、治水の功によって帝に選ばれた。中国の黄河中流には、この禹碑が建っている。

たとえば、その町と文化交流を図ろうとしてはどうか。浙江省の会稽山には親王の陵墓があるから、この町とでもいい。

 和歌山の広川町は一八五四(安政元)年十一月の地震のさい、大津波に襲われた。流出家屋百二十五戸、全壊十戸、半壊四十六戸、死者三十人を出した。このとき、醤油醸造家で海運業を営んでいた浜口梧陵が、収穫後の稲ワラに火をつけ、町民を高台に呼び集めた。これによって町民千数百人が助かった。浜口はのち私費を投じて、高さ五b、長さ七百bにおよぶ堤防を町民に築かせた。

明治の終わりごろ、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、このエピソードを「ア・リビング・ゴツド(生き神さま)」という物語に仕立てたので、英語世界では浜口梧陵の名はよく知られている。

 二〇〇四年、インドネシアのアチェ沖大地震・津波のあと、その国際支援会議のため、当時の小泉純一郎首相がシンガポールを訪れたゴー・チョクトン首相から「あのリビング・ゴッドの話は事実なのか」と問いかけられたという。広川町とシンガポール、あるいはアチェとの交流を考えてもいいだろう。

 ちなみに、小泉首相はこのゴー・チョクトン首相からの問いかけに、何の答えも返さなかった。これでは外交相成り立たない

 

 

 少なくとも私達は、小学校の教科書で「収穫後の稲ワラに火をつけ、町民を高台に呼び集め町民を救われた」話しを教わりましたが、小泉氏は御存じなかったのでしょうか?!

 

私財をなげうち村民に働きかけて川を掘り直し、土堤を築いた篤志家」のお話は初めて知りました。


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