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菅直人氏は私達の恩人では

2011418&516

宇佐美 保

 

マスコミは菅首相が312日日に、ヘリコプターで福島原発を訪れた件を「カイワレ大根の際同様なパフォーマンス、肝心な時に司令官たる総理が東京を離れるとは何事か!或いは、菅氏訪問の為にベントが遅れて水素爆発が発生してしまった云々」と非難の大声を上げ、又、浜岡原発の原子炉停止の件でも、人気取りのパフォーマンスと非難されていても、私は、特に、418日に、毎日新聞(2011.4.4付け)“原発事故2日間毎日新聞、首相「おれが話す」の記事を見て、菅首相の行動を支持して居ります。

 

 そこで、私は、この表題の件を書き始めたのですが、他の件を書いたりして、この件を後回しにしてしまったのが残念です。

 

 しかし、その間に、東京新聞(2011/05/11付け)“レベル71部福島原発の一週間 「決死隊」被ばく 危機一髪──設計限度超えた圧力  首相「排気、手動でいい」”の記事も見ました。

 

 又、朝日新聞の関係と思われる「Astand」(20110512)“312日、東電で何が? なぜ1号機は爆発したか?

も読み、これらを参考とさせて頂きながら、菅氏応援の記述を改めて書き続けたく存じます。

 


 先ずは毎日新聞からの引用です。 

 11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。心配する同行者に「情報がない」と漏らし顔をゆがめた。衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

 

 ここに記された、「東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京……」に関しては、『東京新聞(2011326日)』に次のように記述されています。

……勝俣会長と鼓紀男副社長が大地震を知ったのは、中国・北京だった。

勝俣会長は、経済文化交流団の「愛華訪中団」の団長として訪中した。参加者によると、午後三時から始まる中国外交部の要人との懇談に出席するため、ホテルからバスで向かう最中に、ニュースは飛び込んできた。……

 訪中団は東電幹部やマスコミOBらでつくる友好団体。毎年訪中し、十回目の今回は約二十人が参加。昨年秋に訪中する予定が、尖閣諸島問題で延期になっていた。

(勝俣会長が、最初に記者会見に臨んだ際、フリージャーナリストからこの件に関し追及され、費用等の詳細を後日報告すると答えていながら、その後音沙汰ないようです。

そして、悲しい事に、そのフリージャーナリストの質問を、大手メディアの記者が妨害したそうです)

 

 又、毎日新聞に戻ります。

 一方、官邸の緊急災害対策本部。当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。「原子炉は現状では大丈夫です」。保安院は東電の見立てを報告した。

 

 しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。

 

 11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。

 

 官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請したしかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある

 

 「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。

 

 

 

 このベントに関しては、『東京新聞(2011.4.14):福島原発の実態元技術者が語る』では、に次のように書かれています。

 「いつ、どこで起こるかば分からないが、必ずシビアアクシデント(過酷事故)は起こる。それが、たまたま福島だったということ」。菊地氏は串間市の自宅で、電源喪失から制御不能に陥った福島第一原発事故を冷静に受け止める。……一九七三年、米ゼネラル・エレクトリック社(GE)の原発関連会社に入社した。

 

 八〇年に退職するまでの約七年間、福島第一原発6号機(福島県双葉町、定期点検中)と、日本原子力発電の東海第二原発(茨城県東海村)の建設を担当した。

 福島第一原発などは沸騰水型軽水炉で設計はGE、施工は「国産化」を目指して日本の原発メーカーなどが担った。菊地氏は企画工程管理者として全体を統括し、期限までに完成させる役目だった。……

 

 福島第一原発13号機は事故後、ガス抜きパイプ(ベント)が開放され、放射性物質を逃がさなければならなかったが、当初は付いていなかったという。「国は『過酷事故は起こり得ない』

という方針だったから、なかなかベントを取り付けようとしなかった」……

 

 

 ですから、下手をしたら、福島第一原発13号機は内部圧力が上昇し過ぎて、全て、爆発していたかもしれないのです。

更に、東電はベントしたら「放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある」との見解だったようですが、朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」中、特別ゲストとして出席された後藤政志氏(元東芝原子力設計技術者)は、“原子炉設計時に、ベント出口にはフィルターを付けるようにと提案したが認められなかった”と語っていました。

後藤氏の提案を受け入れ、フィルターを装備していたら、もっと早くにベントが実施出来ていた筈です。

 

 

 ここで又、毎日新聞の記述に戻ります。

首相官邸では11日午後11時過ぎ、地下の危機管理センターで首相や海江田万里経産相、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長、原子力安全・保安院幹部を交えて対応を協議。「早くベントをやるべきだ」との意見で一致し、東電側と連絡を取った。

 12日午前1時半には海江田経産相を通じて東電にベントで圧力を下げるよう指示。しかし、東電側からは、できるかどうか明確な返答はなくいらだつ官邸が「何なら、総理指示を出すぞ」と威圧する場面もあった

 それでも保安院の中村審議官は午前2時20分過ぎの会見で「最終的に開ける(ベントする)と判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者判断だ」と説明した。

……

 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった

 

 

 では、官邸を困惑させた東電の愚図愚図状態はどうであったかは、長くなりますので、文末の(補足1:東電のベントへの対応)をご参照ください。

そして、次の毎日新聞の記述にありますような秘書官らの制止も振り切り、菅首相は福島へ飛び立ったのです。

 

 
 そして、毎日新聞の記事です。

 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。

 

 

 秘書官らの心配は、その後のマスコミ等での菅バッシングで明確となります。


 

 では、東京新聞の記事です。

 三月十二日午前、この建屋の暗闇をライトで照らしながら、まさに「決死隊」が悪戦苦闘していた。

 原子炉を覆う格納容器内の圧力がぐんぐん上がっていた。設計上の最高圧力は五二八`パスカル
それが十二日午前二時半時点で八四〇`パスカルに上がっている

 パンパンの風船に空気を入れ続けているようなものだった。いずれ破裂し、そうなれば大量の放射性物質が外部に放出される。

……

 圧力上昇はこの日未明には官邸に報告されていた。首相の菅直人(64)は、経産相の海江田万里(62)や内閣府原子力安全委員長の班目春樹(62)らと協議し、「ベントしかない」と結論。海江田は午前一時半、東電にべントを指示する。

 だが、いつまでもベント開始の連絡が入らない。海江田は、一時間おきに東電に電話し 「どうしてできないんだ」とせかした。午前六時五十分には、東電へのベント指示を法令に基づく命令へと格上げする

 危機感を抱く菅と班目、首相補佐官の寺田学(34)は午前六時十四分、ヘリで第一原発へと向かった

 「一分遅れたら、それだけ事態は深刻化します」

 班目は機中でも、一刻も早いベントを進言する。

 第一原発に降り立った菅は、東電副社長の武藤栄(60にべント遅れの理由を問いただした。武藤は「電動で開けるベント弁の復旧には四時間かかる」などと言い、煮え切らない

 「手動でもいいから早く開けてください」。いら立つ菅が強い口調で迫ると、所長の吉田昌郎(58)が「すぐやります」と応じた。

 「手動でやれ」という首相の指示。それは被ばくの危険がある中、命懸けでやれという意味だった。

 結局、弁が開くのは海江田の指示から十時間以上かかった。一刻を争うベントは、なぜ遅れたのか。

一つの理由は、東電が電源復旧を優先したことだ。電源が通じていれば、弁は簡単に開けられる。だが電源は戻らなかった。

 暗闇と高い放射線量も妨げとなる。東電は手動でのベントを想定しておらず、当直長らは、そのための訓練も受けていなかった。

 命懸けの作業で、当直長は緊急時の限度(当時)を超す累計一〇六_シーベルトの被ばくをする。同夜、五`離れた福島県原子力災害対策センターで診察を受けた時、見るからに疲れ切っていたが、また第一原発へと戻っていった。 

 

 

 確かに、「当直長らの命懸けの作業」には頭が下がりますが、それでも「手動でやれ」という首相の指示がなかったらどうなっていたのでしょうか?


次は、『東京新聞(201154日)』からの抜粋です。

 東日本大震災翌日の3月12日に、福島第1原発1号機の蒸気を排出し格納容器の圧力上昇を止める「ベント」が難航していた際、同日深夜に格納容器が破損して敷地境界での「被ばく線量」が重大な健康被害を及ぼす「数シーベルト以上(1シーベルトは千ミリシーベルト)」になるとの予測が、政府内で示されていたことが3日分かった。

 

 政府、東京電力関係者への取材や政府文書で明らかになった。原発周辺での「著しい公衆被ばく」の発生も想定していた。

 

 ベントは菅直人首相の現地視察が終了した直後の同日午前9時すぎに着手したが、機器の不調でうまくいかず、蒸気排出が確認されるまで約5時間半かかった。政府がこの間に「最悪のシナリオ」を想定していたことが初めて判明した。

 

 事故の初動対応ではベントの遅れで事態が深刻化したとの批判がある。この最悪シナリオは回避されたとはいえ、ベントの遅れの問題は、首相が近く設置する考えを示した事故調査委員会の検証の焦点となる。

 

 短時間に1シーベルトの放射線を浴びると1割の人が吐き気やだるさを訴え、4シーベルトなら半数が30日以内に死亡する。「数シーベルト以上」の被ばくとの表現は、致死量相当の危険性があることを示している。

 

 共同通信が入手した政府文書や関係者によると、経済産業省原子力安全・保安院は3月12日午後1時に、1号機で「ベントができない場合に想定される事象」を検討した。

 

 この時点で、格納容器の圧力が設計圧力の2倍近い0・75メガパスカル(約7・4気圧)に上昇。ベントができなければ、午後11時には設計圧力の3倍の1・2メガパスカル(約11・8気圧)に達し、格納容器が破損すると想定した。

 

 その場合、放射性ヨウ素、セシウムなどが大量に放出されて「被ばく線量は(原発の)敷地境界において数シーベルト以上」となり「気象条件次第によっては、発電所から3〜5キロメートルの範囲において著しい公衆被ばくの恐れがある」と推定した。

 

 1号機のベントは二つある弁の一つが開かず、緊急調達した空気圧縮機を使って実施。着手から5時間半後の午後2時半に蒸気排出を確認、格納容器圧力が低下した。

 

 
 そして、毎日新聞の記事に戻りますと、

 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。

 

 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

 

 

 

 菅首相の行動をつぶさに紹介しておきながら、何故、毎日新聞はこのような見解を書くのでしょうか?
更に、酷いのは、『週刊ポスト(2011.4.22号)』の次の記述です。

 震災2日日の312日、午後3時から震災対策の全党首参加の与野党党首会談が開かれた。直前の原子力安全・保安院の会見で、「炉心溶融の可能性」が指摘されており、その質問が出た。

「これはメルトダウンとはいわない。大丈夫です」

 菅首相はキッパリ否定してみせた。

 会談の途中で、秘書官から首相にオレンジ色のメモがわたされた。福島原発1号機で起きた水素爆発を報告するものだったが、菅氏は会談の席でそのことには一切触れずに、最後も「大丈夫なんです」と繰り返した。水素爆発が公表されたのは数時間後だった。

 挙国一致での危機対応を話し合う党首会談の場でさえ、この総理大臣はウソをつき、事故の重要情報を隠したのである。それが危機管理上、必要な情報管理だったとはとても思えない。

 

 

 毎日新聞も、週刊ポストも、「格納容器の水素爆発」と、「原子炉建屋の水素爆発」を混同していませんか!?

菅首相が福島へ飛んだのは、「格納容器の圧力が設計圧力の2倍近い0・75メガパスカル(約7・4気圧)に上昇……ベントができなければ、……格納容器が破損する」危険を避ける為であり、この目的は、吉田所長、又、当直長らの命懸けの作業で無事達成できたのです。

 

 石破茂氏(自由民主党政務調査会長)は、文藝春秋(20116月号)で、“福島原発には菅首相が行くべきではなく、せいぜい海江田経済産業相が行けば十分だった”旨を書かれております。

 

 しかし、この「命懸けの作業」は、首相自らが(自らも被爆の危険をはらむ)福島原発の地に出向いて、(不幸にして、万が一の場合は、全責任を自らが背負う覚悟で)面と向かって指示したからこそ実施されたのだと存じます。

(経済産業相では、東電本社、保安庁と相談の上……との堂々巡りで時間が浪費された筈です)

 

 菅首相はこの一事で、国内ではともかく、世界の首脳から敬意を払われるだろうと信じています。

(勿論、小さい存在たる私は、私なりに、菅首相に敬意を払い、菅首相と共に吉田所長、当直長らに感謝の念を捧げて居ります)

 

 

 

(補足1:東電のベントへの対応)

Astand」(20110512312日、東電で何が? なぜ1号機は爆発したか?

 

 ■ベントの検討

 3月11日から3月12日に日付が変わるころ、1号機の原子炉格納容器の内部の圧力が設計使用圧力を上回っていることが判明する。

 1号機の格納容器の設計使用圧力は485キロパスカル。最高使用圧力は528キロパスカル。それらを大きく上回る600キロパスカルを超えるとの反応が計測機器から得られ、東電は12日午前零時49分、原子力災害対策特別措置法15条に定める特定事象に当たると判断。午前1時20分、「格納容器圧力異常上昇」を経産省に通報する

 バルブを開けて格納容器の内部からガスを抜く「圧力降下措置」が検討される。格納容器が壊れてしまう事態を防ぐために内部の空気を大急ぎで外に出す。放射性物質が一緒に外に出ることになるから、できれば避けたい措置だが、背に腹は代えられない。

 東京電力本店。未明の記者会見の途中、そんな事情が説明される。

 午前1時37分、記者が問いただす。「もう、すでにかなり時間がたってますから、もう出しちゃっているということですか? あるいは、すぐに出さなきゃいけない状況なのですか?」

 午前零時49分の時点ですでに600キロパスカルを超えていてガス抜きの必要があるというのならば、さっさとそれを実行に移さなければならないのではないかという問いかけである。

 広報部の吉田薫部長が「ちょっと確認してもらえます?」と同僚社員に指示する。別の東電社員が「ベントをするときには、防災の対策上、地元と国と……」と言いかける。そのとき、記者が「地元自治体なり地元住民の方にはもっと早く伝わるような措置をされているんですか?」と質問する。肯定の返事がある。

 午前1時41分、同じ質問が繰り返される。「ベント操作をしたかどうか分からないですか?」。吉田部長が「速やかに確認します」と答え、「申し訳ございません」と付け加える。記者が「もし手をこまねいているとバースト(破裂)する危険性があるわけですよね?」と問いかけるが、だれも答えない。そのまま13秒、間が開く。

 記者が質問を変え、それには回答がある。

 ――過去に国内の事例で放射性物質をそういう形で外部に意図的に放出するということをやった例はあるんでしょうか?


 なかったと思います。「格納容器ベント」という操作を行うのは初めてになると思います。


 ――「格納容器ベント」と言うんですか?


 「ベント」というのはカタカナで「ベント」と言っています。

 ベントというのは英語で「vent」とつづる。辞書によれば、「出口を与える」「はけ口を与える」「発散する」などの意味がある動詞だ。名詞の「ベンティレーション」には「換気」という意味がある。

 ――それはフィルターがあるわけじゃなくて、そのまま外部にボンと出しちゃう?


 そういう形になります。


 ――原子炉の中をぐるぐる回っている、燃料の周りを回っている蒸気がそのまま外に出る?


 1回、水の中を通ったりして、ヨウ素分とか取れる分は取れる操作はしますが。

 格納容器の底にある圧力抑制室(サプレッションプール)の水中を経由させた上で外部に出す。「ウェットベント」と呼ばれる。水をくぐらせずに直に外に出す「ドライベント」に比べ、「ウェットベント」では、放射性物質の相当部分が水に吸着され、外に出てくるのは一部にとどまる。

 ――その操作をやるという方針を決めてらっしゃる?


 その可能性があるということで自治体や国と相談していると思います。


 ――やるかどうかを検討するんですか? それとも、やると決めてるんですか?


 やるかどうかを検討するということです。


 ――ベントには電気がいるんですか?


 いらないはずなんですが、ちょっと確認させてください。

 女性記者が「もう一回確認なんですが」と前置きして「その措置をとるというのは決めてないんですか? まだ」と質問する。東電側が「を」と声を大きくした上で「検討……」と答える。

 ――行おうとしているということ?


 当社だけでは判断できませんので。


 ――保安院(経済産業省の原子力安全・保安院)と相談しているということですか?


 保安院と県、あと、自治体と、というかたち。


 ――猶予がそんなにあるような話なんですか? そもそも


 設計(設計圧力)の何倍かの耐力を持っている形になりますので、そこまではもつという判定をしながら状況を見ている。


 ――圧力上昇の原因は分からないんでしょうか?


 正確なことは分からないということです。


 ――原因不明ということですか?


 はい。やっぱり電源が落ちているんで、監視をすることがほとんどできない。


 ――ベントしか方法がない?


 えーと、そのほかの機器が動かなかったらそうなります。たとえば、通常ですと、非常用ガス処理系という外に出す非常系とかが設けてあり、フィルターを通して出すことになります。


 ――今回はそれでは対応できない?


 ちょっと確認できておりませんが、対応できる可能性が、たぶん対応するように努力はしていると思いますが、それと同時にベントを検討したということは、そういうことになっているということだと思います。

 午前1時53分、記者の一人が再び「圧を逃がす措置は、今この時点では、実施されていないということなんでしょうか?」と催促するように確認を求める。広報部の吉田部長が「確認いたしているところです」と再び答える。

 午前2時1分、吉田部長から回答が明らかにされる。

 「ベントの実施につきましてですけども、まだ現時点でベントを実施いたしておりません。また、ベントの実施の方向性についてはまだ現時点で決まっておりません。取り急ぎちょっとご報告申し上げます」

 記者が「検討を続けているという感じでよろしいですか?」と念押しすると、吉田部長は、自信なさそうに声を小さくして、「そうですねぇ、はい」と、やや投げやりな空気を漂わせながら答える。

 ――一般に、原子炉の中の圧力が高まる理由としてどんなことが考えられるんですか?


 燃料からは崩壊熱、熱が出ておりまして、それによって圧力容器の中にある水が蒸発して圧力が上がると。液層が気層になるので、体積が増えて、圧力が上昇していく現象です。


 ――ベント作業で出る放射性物質ですが、これは健康に被害あるのかどうかは分からないんですか?


 どれくらいの量というのにもよりますので、申しあげられません。


 ――先ほど「ベントを実施してない」と伺ったんですが、そういうふうにやってるうちにバースト(破裂)する危険性はないんですか?


 状況を見極めますし、あと、当然、地元との連絡とかそういったものがあると思いますので。


 ――一刻も早くやらないと、もしバースト(破裂)すると……。ベントするかしないか、判断材料はどのくらいあるんですか?


 状況を見極めまして、はい。


 ――格納容器ベントをしなくて済む手法は何かあるんですか?


 いくつかあると思います。たとえば、非常用のガスを処理する系統がございまして、ここを通してフィルターを通して外に出すという方法がございます、はい。


 ――それは電力がないから無理ということ?


 今の段階では……。ですので、電力の復旧ということをいま主眼において対応しているということです。


 ――ベントの弁は手動で?


 現場で手動で開ける形にはなると思います。建屋の中で。


 ――今、そもそも建屋内に人はいるんですか? 避難してたりしないんですか?


 そこは……。


 ――よく分からない?


 はい。


 ――原子炉自体がぶっ壊れちゃったりしないんですか? 周りがバーンと?


 あのう、それは水が本当になくなって空だきとかいうレベルになれば、そういうことが考えられます。

 午前2時21分、記者会見が終わる寸前、記者が「ベントをもし実施した場合、速やかに教えてもらっていいですか」と念押しし、吉田部長らが「はい」と答える。

 

 
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