『コロンブスの電磁気学』の要旨(17) 直流も交流も量子的電気の集合体
2011年4月4日
宇佐美 保
前文迄の「クロック信号」に関する考察の延長線上に、「交流表示」に関して、次の3種類の「イメージ図:1〜3」の変遷を考える事が可能と存じます。
(「イメージ図:3」の格子模様はもっと細かく書きたいのですがうまく書けませんでした)
イメージ図:1 (一般的な交流表示) |
イメージ図:2 (クロック信号の集合体) |
イメージ図:3 (量子的電気の集合体) |
しかし、“直流と交流は全く別種の電気である”、いわんや、“交流がクロック信号の集合体である筈もない”、更には、“量子的電子の集合体など以ての外!”と異議を唱える方もございましょう。
でも一寸待って下さい。
本当に「直流」と「交流」との間に、根本的な相違があるでしょうか?
太陽電池に光を当てると、直流の電気を得る事が出来ることは誰もがご存じです。
しかし、太陽の前を雲が次々と走って行くと、太陽電池の発電電圧は微小とはいえ上下しませんか?
日の出から、日の入りまで太陽光の強さは一定でしょう?
(これでは、直流といえども、「超超・・・超低周波の交流」とも考えられませんか?)
こんな事を考えつつ次の実験を行いました。
「図:1&2」に見ますように、背面同士を貼り合わせた2枚の太陽電池を、回転軸に取り付け、回転させることによって、これら2枚の太陽電池に当たる懐中電灯の光の角度を、周期的に変化させます。
そして、太陽電池Aの出力電圧と太陽電池Bの出力電圧(こちらの出力は、プラス/マイナス逆にして)を、電圧観測装置(オシログラフ)にて観測します。
それらの単独出力(1-1)と、且つその合成出力(1-2)を示します。(即ち、1-2)のグラフは太陽電池A&Bの各出力の引き算した形となります。)
観測結果:1 太陽電池出力結果(逆相直列) |
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観測結果:1-1 太陽電池個々の出力 |
観測結果:1-2 太陽電池合成出力 |
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この観測結果(観測結果:1-1&-2)に見ますように、全くの直流電源(太陽電池)から、単純な機械的変換によって、実に綺麗な交流出力波形が得られます。
この結果からわかりますように、直流、交流には、電気的に本質的な相違は、全く無い事が明白となります。
即ち、「交流とは直流の電気的強度(例えば電圧)が周期的に変化しただけ」、と言い切ることが可能です。
(屋根の上に設置した太陽光発電器は、直流発電器でもあり、24時間周期の交流発電器)
このような例からも、冒頭に掲げました「イメージ図:1〜3」の変遷を御納得頂けると存じます。
「イメージ図:1」は、一般的な交流のサイン曲線的表示です。
次の「イメージ図:2」の登場の背景には、偉大なるM.ファラデーの発見である「電気的現象(勿論、光も)は、全ての近接作用である」が存在します。
(「近接効果」と書かれる方も居られます)
この「近接作用」の例を、太陽の光の作用として、次に挙げます。
太陽表面に現れた光は、現れた瞬間に、(時間の経過もなく、)地球上降り注いでいるとの「遠隔作用」を行う事は出来ないのです。
太陽の光は、必ず太陽を出発して、光の速度(毎秒約30万キロメートル)で、地球までの距離(約1億5000万キロメートル)を、凡そ8分14秒ほどの時間をかけて旅をした後、私達に、数々の恩恵をもたらせてくれます。
従って、万一、突然、太陽が大爆発を起こして(大量な光を発しても)も、その影響を私達が地球上で受けるのは、その爆発から8分14秒後となります。
「太陽が輝く=地球上に太陽光が存在する」(遠隔作用)ではないのです。
更には、海の波を例にとって見ます。
私達は、海の波を見れば一瞬(勿論、海面から私達の目までの光の旅行時間のズレは存在しますが)にして、その海の波が小波なのか大波なのかを判断する事が出来ます。
しかし、私達が目をつぶって海面に浮かんだ状態でいますと、波が来たら自分の体が上に上がって行きます。
でもいつまで上がり続けるのか、又、当然いつ下がるのかも分りません。
(若しかしたら、波ではなくて、海面が持ち上がった結果、いつまでも上に上がった状態でいるかも分りません。
恐ろしい「津波」かもしれません)
そして、私達は、一波が通り過ぎた後に、“ああ!今のはゆったりとした波だったなあ!”とかと波の大きさを認識するのです。
ですから、電気とて同じです。
電気の流れを計測器で計測しても、その計測器は「目をつぶって海面に浮かんだ私達」同様です。
計測器は今どんな電気を計測しているか?直流であるか?交流であるか?その周期は?
そんな事は、計測している瞬間・瞬間には分りません。
結果論として分るのです。
ここで、(後からも取り上げますが)重要な概念を頭に入れて欲しいのです。
例えば、先のようなサイン曲線(海の波のような)を示す交流(イメージ図:1)は、ある細かな時間の電気(いわば、直流)の集合体(イメージ図:2)であるのです。
(更には、海の波の移動が「水分子の上下位置変化の伝達」であるように、電磁波の移動も「各空間の電磁界変化の伝達」でもあるわけです)
そして、最終的にその集合体である電気が流れた結果、「ああ、サイン曲線的な変化をする集合体の電気が流れた」と分かったりするのです。
従って、ある微小時間にある電圧の電気信号が来たとすると、その電気信号を今まで考察してきた「クロック信号」の1パルスと認識する事と等価である事が分かります。
そして、時間の経過と共に、そのクロック信号の1パルスの電圧が、周期的に変化する電気信号が「交流」であると定義できます。
そして、更には、それら個々のクロック信号も又、「量子的電気の集合体」なのですから、交流も又、「量子的電気の集合体」である事に気が付くのです。
そして、冒頭のイメージ図から、LPレコードとCDディスクとに記録されている波の相違に似ています。
CDを記録する為に、音波を分割している44.1kHzの波はあくまでも人為的なものですが、電気(光)の場合は本質的な単位となっています。
前にも記述しましたが、乾電池を例にとれば、その電池の電極では、1原子ごとに電子のやり取りをして電気を発生させているのですから、当然電気はそのやり取りの時間単位では発生していなくてはなりません。
更には、LPレコード或いはCDディスクの音響情報が最終的にスピーカーへ向かう際の電気情報へと変換されますが、その電気信号の大きさ(電圧、電流値)は時々刻々変化して居り、交流、直流とも言えません。
それらは、やはり「イメージ図:2」のクロック信号の集合体、と言うより「イメージ図:3」の「量子的電気の集合体」であって然るべきです。
(以上の件は『コロンブスの電磁気学』増補改訂版の『第2章 第3項 D:電気は、近接作用である』並びに『第2章 第6項 光の粒子に関する私見』もご参照ください)