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検面調書偏重と闘った石島泰氏

200975

宇佐美 保

 先の拙文《自白を尊重する裁判の矛盾(足利事件)》に於いて、『「取り調べ段階での自白」の裁判の過程で絶対視される』ことへの疑問を呈しましたが、この件に関して、これこそが冤罪の温床として闘われた石島泰氏に関するFAXを頂きましたので、ここに転記させて頂きます。

 

 このFAXは、文芸春秋(200010月号)に記載された「蓋棺論」のコピーでした。

 

 

石島泰は、松川・砂川両事件や「吉田岩窟王」再審請求に勝利するなど、刑事弁護の第1人者とされた。日本共産党の「最高顧問」と目された彼が、1984(昭和59)年、田中角栄有罪のロッキード一審判決を批判して「司法の自殺」と断じたとき、世人は驚いた。

 コーチャン・クラッターらの嘱託尋問調書は、時の最高裁が明文の規定にはない免責保証を与えて録収され、反対尋問にも晒されていない──そのような調書に証拠能力はないと主張したのである。

 

 

 次の「検面調書」(取り調べ段階の自白)が「冤界の温床」記述に注目して下さい。

 

 

 石島の生涯は、刑事訴訟法321で採用されている検面調書との闘いだったこの検面調書に証拠力を与えたのは、戦時特別法に上による例外規定だったこれが戦後のドサクサで、現行の刑事訴訟法321条に刷りこまれ石島はこれをすべての冤界の温床と見た

 

 

 ここで「刑事訴訟法321」を「法庫houko.com」から抜粋させて頂きます。

 

321条 被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、次に掲げる場合に限り、これを証拠とすることができる

・・・

2検察官の面前における供述を録取した書面については、・・・公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき。但し、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る。

・・・

 

 

 なんだか分かり難い文面ですが、『国策捜査 青木理著 発行:葛燉j日:2008515日』の中で、特捜部から弁護士に転身され「闇社会の守護神」とも呼ばれた田中森一氏は次のように語っておられます。

 

 「よく考えてみてほしいんですが、(法廷で)裁判官の前で言うことと
検事による調書のどちら
が果たして正しいのか。
現在の日本の裁判は、法廷よりも検事の前で喋ったことが正しいということが前提となっているんです。
法廷で調書と異なる訴えをしても、聞き入れられることなどほとんどない。
いくら裁判で真実を訴えても、検事に調書を取られたら、それで終わりなんです。
どんな弁護士でも覆すのは容易ではない。
物証でもあれば別だが、供述なんてどうにでもなる。
実際に冤罪となった事件でも、常に問題となるのは供述だけれど、それを裁判所も見破れない。
これは日本の司法制度と法律が抱える最大の問題です。
冤罪をなくすためには、この現状を根本から変えないとだめだと思う」

 

 更に石島氏の件を続けます。

 

 

 石島の裁判批判は、この321条の改正を意図しての問題提起だった。「この条文の撤廃・改正と引き換えなら、角栄の弁護士してもいい」とすら石島はいった。あにはからんや石島を驚かせたのは味方・左翼陣営からの総攻撃だった。「法匪」とまで謗られ、あげく油壺に「国内亡命」する羽目となる。

 

 11年後の95(平成7)年2月、最高裁は判事全員一致でくだんの調書を否定した。最高裁が他ならぬ最高裁の決定を否定する──法曹史上、稀にみる出来事だった。「石島君が正しかったんです。でもあの当時の雰囲気でそれをいうと、村八分にされかねない。誰もが怖くていえなかった」と友人の某判事は述懐する。

 

 

 でも。、

「誰もが怖くていえなかった」時に発言し行動する気概のある方が、
判事であり弁護士であって欲しいと私達の誰もが期待し希望しているのです。

更に続けさせて頂きます

 

 最高裁判決を見た石島は「油壷日記抄」にこう記した。「民主主義の原理を最もよく理解しなければならない左翼の一部に、これを裏切る反応があったことは、かえすがえすも残念であった」

 石もて彼を追った輩への侮蔑・憐憫だろう。末尾に久保田万太郎の一句を引いている。「なにがウソでなにがほんとの寒さかな」

 今年正月、オールド・マルキスト石島が出した賀状にいわく、「20世紀の終焉とともに、賀状もこれにて打ち止め。当方宛の年賀も御放念されたし」。(815日没、腎不全、78歳)

 

 

 以上の文芸春秋の蓋棺論」のコピーの他に、そこの末尾に記された石島氏の賀状のコピーも送って頂きましたので、ここに転載させて頂きます。

 

頌春

200011

 21世紀は見たくないとかねてから言っていた

のですが、とうとう20世紀の最後の年になって

しまいました。もともとキリストの生誕などと

いう架空を原点とした西暦なのですからその年

数が変わったからといって人的の営みがどう変

わるものでもないのですが、それでも世紀未、

殊に2000年という大世紀末ともなると、この100

年或いは1000年を振り返って見る良い機会かも

知れません。

 

 なお、50年ほど続けてきた年賀状を20世紀の終

熄と共に終わらせることにしたいと存じますの

で御了承下きい。あと何年生きるかはわかりま

せんが、何卒当方宛の御年賀も御放念下さいま

すよう。皆様方の御健勝をお析りいたします。

 

 

 私も、石島氏の“もともとキリストの生誕などという架空を原点とした西暦なのですからその年数が変わったからといって人的の営みがどう変わるものでもないのですが・・・”との観点に同感であり、大事であると思っていますので、失礼なのかも分かりませんが、全文をコピーさせて頂きました。

 

 

 更には、『自由と正義:日本弁護士会機関紙:897月号』に石島氏が書かれておられる“わが国の刑事裁判は「フランス人権宣言」から200年おくれている”のコピーも頂きましたが、この件はまたの機会に書かせて頂きます。

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