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賞味期限切れの日本人(
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20071216

宇佐美 保

 誠意も誠実さのひとかけらも無いと思われる人物がこの国の首相に就任して「民営化」を叫んで以来、日本では「民営化」=「金儲け主義」とってしまったようです。

(その上、「民営化」=「米国への利益提供」と看破された方は、痴漢などの冤罪で公の場から葬り去られてしまった?)

 

そして、更には、“金持ちはより金持ちに、金の無い人はそれなりに”ではなく“金の無い人はより金の無い人に”の世の中になり、日本人全員が、小泉元首相同様に「誠意も誠実さ」を失ってしまっているように私は感じています。

 

そこで、先ずは、週刊文春(2007/12/13号)に掲載されている、ジャーナリストの徳岡孝夫氏の「食品偽装「魔女狩り」はもうええやろ」(誰か腹でも壊したの?)の一部を次に抜粋させて頂きながら考えてみたいのです。

 

 伊勢の赤福が製造日と消費期限をごまかし、商品は回収、営業は停止という憂き目に遇った。「気の毒だが、ほとぼりはすぐ冷めるさ。その間は御福餅を買って帰ればいい」と、我が家では笑ったが、たちまち御福餅本家もやられた。

 寒い冬でも店を開け放して御客様を迎えている商売人をいじめて、マスコミは面白いのか。長い年月を重ねてきた者への敬意は、持ち合わせないのか。ジーンズの股を広げて優先席を占領している若者と、そっくり同じ神経じゃないか。

 JAS法はおろか、消費者というコトバや総理大臣すら存在しなかった三百年の昔から、赤福はずーっと商売してきて、お客様に喜んでいただき、今日がある。「赤福で当たった」話を聞いたことがない。生きた現実を見ずに、紙に書いた法律の方を重んじよというのか

 

 この「三百年の昔から・・・」に関しては、1月前の同じ週刊文春の(2007.11.15号)のコラム「新聞不信(署名:滝)」に次の記述があります。

 

 新聞も、ちょっとは自分の昔を思い出せ。戦前の夕刊には当日でなく、翌日の日付が付いていた──各紙とも。

 ここに「大阪毎日新聞」昭和十六年十二月九日付の夕刊のコピーがある。十二月八日の夕方に配った夕刊が、十二月九日付になっている。トップは「宣戦布告の大詔渙発」。

横に「今暁、西太平洋で米英軍と開戦す」の大見出しで大本営発表がある。「今暁」とは八日の早朝を指す。

 つまり新聞も、かつてはニュースを新鮮に見せるため製造日をごまかし、翌日の新聞のような措覚を読者に与えていたのだ。そんな新聞が三百年の歴史ある赤福にイチャモンつける資格があるのか

 

 なんだか、徳岡孝夫氏の記述は、このコラムの引き写しの感があります。

更に、徳岡氏は次のように書かれています。

 

 マスコミは、老舗の失敗を論じて同族経営がどうのワンマンがこうのと批判した。はばかりながら借問させていただく。「朝日新聞」は、連綿と続く村山・上野両家の持ち物ではないのか?「読売新開」主筆の玉稿に、デスクはどれくらい手を入れているのか?

 

 これは、先に引用しました「新聞不信」と同じ新聞批判です。

しかし、週刊文春の「新聞不信」を書かれた滝氏は「新聞も、ちょっとは自分の昔を思い出せ。戦前の夕刊には当日でなく、翌日の日付が付いていた──各紙とも」と新聞批判を行っていますが、

この徳岡氏の記述が載っている週刊文春(20071213日号)を、私が購入したのは、126日です。

従って、週刊文春ご自身は(戦前ではない現在に於いて)1週間もサバを読んでおられるのです。

それなのに、「戦前の夕刊には当日でなく、翌日の日付が付いていた」との新聞批判をする資格がありますか!?

 

それに、

新聞も新聞ですが、週刊文春は、「9.11の同時テロ」の欺瞞性を紙面に紹介した事がありますか!?

(週刊ポスト、フライデーでは紹介していたと存じます)

『まもなく日本が世界を救います:太田龍&ベンジャミン・フルフォード共著:成甲書房発行』には次のように書かれています。

 

太田龍 したがって九・一一の直後、ブッシュ大統領と、ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領などのアメリカ政権の最高首脳部は、これは数十年にわたる全世界的なイスラム・テロリズムに対する戦争であると倣岸な態度で言っていましたね。

 ところが、それと時を同じくしてアメリカのいろんな立場の人たちが九・一一の真相(真犯人はイスラム・テロリストではなくユーエスラエル″など)を暴露し始めているでしょ。それは日本人にとっては、そんな先鋭的な暴露がアメリカの中で行なわれていることはとても信じられない現象ですよ。こんな動きが草の根の民衆から広がって、二、三年すると心あるアメリカ人、世論調査では六十%近くもの多くが、九・一一についてのアメリカ政府の公式説明を信用しないようになったでしょ。・・・

ドイツでは、政府の閣僚だった人までもが、九・一一はアメリカ政府が関与したやらせじゃないか、という追及本を出しています。

 

フルフォード ドイツの国防省の長官だった、アンドレス・フォン・ビューローですね。

 

太田龍 そうですね。イスラム世界にももちろんバレていますよ。九・一一の真犯人はイスラム・テロリストだというアメリカの公式説明が愚かにもマスコミ上で額面どおり伝えられ、それをそのまま信用しているのは、世界中でも、脳天気な日本国民ぐらいなんじゃないですか

 

 このような状態にある「9.11事件」に何故週刊文春は触れないのですか!?

そして、この「新聞不信」のコラム担当者も!

今の時代、新聞を信じている人達がどれだけいるのでしょうか!?

(何故このような事態に陥ってしまっているのか!?「新聞不信」となる原因をはっきりと追求するのが「新聞不信」のコラム担当者も含めたジャーナリストの役目ではありませんか!?)

 

いや!悲しい事に、小泉劇場に感激して、又、その劇場の再開を望んでいる人達なら、信じるかもしれません。

いやいや!そういう方々は新聞を読まずにテレビを見ているでしょう!?

ですから、今一番影響力の大きく、日本人の堕落を企んでいるが如きのテレビの批判を「新聞不信」のコラム担当者は、「テレビ不信」とコラム名を変えて行うべきと存じます。

 

 しかし、同じテレビ番組でも、朝日ニュースターで放送される「デモクラシーナウ!」は実に素晴らしい番組と存じます。

128日にゲストにジャーナリストで映画作家のジョン・ピルジャー氏を迎えて放映された「プロパガンダと報道、検閲、アメリカ帝国への抵抗を語る」(米国では200787日放送)にも感銘を受けました。

 

先ずは、番組のホストのエイミー・グッドマン氏が次のように語ります。

(以下は、http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/messages/748?expand=1

から、抜粋させて頂きます)

 

ルパート・マードックが先週ダウ・ジョーンズおよびウォールストリート・ジャーナルの乗っ取りに成功しました。その時点で、このオーストラリア人メディア帝王は、アメリカで最も古く、最も重視され、膨大な発行部数を誇る新聞を自分の巨大なメディア帝国の手中におさめました。マードックのニュース・コープ傘下メディア複合企業は、175社に及ぶ各新聞社に加え、フォックス・テレビジョン・ネットワーク、21世紀フォックス映画スタジオ、複数の衛星ネットワーク、マイスペース・ドット・コム、ハーパー・コリンズ出版社などを含む企業を所有しています。

 

帝国構築のためにメディア企業を買いあさるだけではなく、マードックはそのメディア所有権を駆使して自分の政治的なアジェンダを推進している点を、頻繁に非難されています。2003年にマードックが所有する175社の新聞社のすべてがイラク侵略を支持しました。この侵略に先駆け、彼は元英国首相トニー・ブレアにじかに話をしており、ブレア政権中枢部側近の中には、彼を「ブレア内閣24番目のメンバーと呼ぶ人もいました。

 

次は、ジョン・ピルジャー氏の発言を引用させて頂きます。

 

ルパート・マードックは、世界規模メディア巨大企業としてたった3社だけが残るだろうと予測しており、そのうちの1社は自分の会社です。このような権力の集中はもちろん米国に限ったことではありません。

・・・

いつでもいいですからニューヨーク・タイムズ紙を手にとって、政治に関する内外の主な記事を読んでみてください。政府やお馴染の利益団体ばかりが情報源となっていることに気がつくでしょう。それが職業ジャーナリズムのエッセンスなのです。

・・・

冷戦についての話で、私が気に入っているもののうちのひとつに、米国を訪れていたロシアのジャーナリストのグループの話があります。訪問ツアーの最後に、合衆国のホストがロシアのジャーナリストたちに質問しました。アメリカのメディアからどんな印象を受けたのか。「いや、まいったね」とロシアのスポークスマンは言いました。「あらゆる新聞を読んで、一日も欠かさずにテレビを見ていたんだが、主要な問題に関する意見はどれもまったく同じなんだ。これには本当にびっくりしたよ私たちの国でそのような結果を出そうとしたら、ジャーナリストたちを強制労働収容所へ送り込むことになる。(笑い声)爪を剥ぎ取ることさえする。あなたの国ではそんなことをする必要などまったくない。いったい秘訣は何なんですか?」(笑い声)

その秘訣は何なのでしょうか。これはニュースルームや大学のメディア学部、ジャーナリズムの専門雑誌などでほとんど問われることのない質問です。でも何百万人もの人々の命にとって、その質問に対する答は緊急を要する問題です

・・・

皮肉なことですが、いわゆる自由社会で検閲がどのように行われるかということを理解したのは、私が全体主義社会から報道活動をしていたときでした。

1970年代に、当時スターリン主義政権下にあったチェコスロバキアで、秘密に映画を撮影していました。私は小説家ズデナー・ウルバネックを含むチャプター77という反体制グループのメンバーたちにインタビューをしました。そのときウルバネックはこう言いました。「独裁政治下に生きる私たちにとって、西側に住むあなたたちより幸運なことがひとつだけあります。私たちは新聞で読むこともテレビで見ることもすべてがプロパガンダであり嘘だということを知っているので、一切信じていないということです。(笑い声)西側にいるあなたたちとは違って、私たちはプロパガンダの裏を見ぬき、行間を読む習慣がついています。あなたたちとは違い、いつでも本当の真実には、支配体制を転覆させる力があることを私たちは知っています」

 

 ここでのジョン・ピルジャー氏のニューヨーク・タイムズ紙への「政府やお馴染の利益団体ばかりが情報源となっている」との批判は、全くそのまま日本の新聞各紙への批判でもある事は申すまでも無いでしょう。

 

 ジョン・ピルジャー氏は、更に、沢山の有意義なそして勇気ある発言されておられますので、「デモクラシーナウ!」のサイトをお訪ね下さい。

そして、週刊文春の編集者諸氏も、ジョン・ピルジャー氏の爪の垢でも煎じて飲んで、「新聞不信」に陥る真の原因を追求告発して欲しいものです。

せめて、週刊文春の編集者諸氏は「プロパガンダの裏を見ぬき、行間を読む」と、「新聞不信」のコラム名を変え、私達に「本当の真実」を伝授して頂きたいものです。

 

 ここで又、徳岡氏の記述に戻らせて頂きます。

 

 彼ら老舗の旦那が、責任を社員やパートにかぶせたのは、マスコミの扱い方を知らぬ者の苦しまぎれ、逃げ口上である彼らの会社は、紙にも書けない微妙なカンとコツで小豆を煮て、その煮方を口承してきた

彼らの社内には、マスコミの攻撃をはぐらかす読者広報室なんて存在しない。そんなもの持つ余裕がない。

 そりゃあ彼らとて企業だし、社員を食わせなければならないから、切り詰められるところは一銭でも切り詰めたい。なるほど食品再生法はある。だが実際の話、どなた様もかつて一人としてコレラ、チフスを起しておられない。えいッとラベルを剥がし、製造日なり賞味期限なりを新しいのと張り替えた。次の日も、腹痛の出たという報告がないから、張り替え続けた。

こうして被害者は一人も出ないまま、今日に至っている。むろん、すべて旦那(社長)の命令である。

 ワンマンから指示があったとの情報は、内から外から、濡れた。漏れてデカデカと書かれ、主力商品はパタリと売れなくなった。

……各社で差はあるが、これがほぼ似たような図式である。きっかけは「上」に不満を抱く「下」からの内部告発が圧倒的に多い。

 

 徳岡氏が「彼ら老舗の旦那が、責任を社員やパートにかぶせたのは、マスコミの扱い方を知らぬ者の苦しまぎれ、逃げ口上である」と老舗を弁護する姿勢は不可解です。

老舗であればあるほど、その歴史を背負い続けてきた旦那達が自らの責任を、潔く真っ先に表明すべきです。

300年の歴史があれば、なおさらです。

その歴史を汚してしまったのですから。

 

特に、1210日にテレビで放映された、高級料亭「船場吉兆」の“社内からの偽装の指摘を無視するなど不正が会社ぐるみだったことも明かした・・・”の会見席上、記者達に取締役の湯木喜久郎氏が偽装に対してする虚偽説明の理由を聞かれ、返答に給すると隣に座っていた母親であり取締役でもある佐知子氏から“知らなかったと言え! 、“頭が真っ白になっていた(と言え!)”などの喜久郎氏に対する指示が放送のマイクには拾われていました。

(先の亀田某氏のボクシングに於ける亀田側からの不正な指示もマイクは拾っていましたし、“頭が真っ白になっていた”も、その不正指示の釈明にも使われていました)

 

 私には、徳岡氏の「彼ら老舗の旦那が、責任を社員やパートにかぶせたのは、マスコミの扱い方を知らぬ者の苦しまぎれ、逃げ口上である」の見解を全く受け入れる事が出来ません。

この欺瞞に満ちた釈明の態度こそが、彼らの「食品製造に対しての態度そのもの」だったのだと存じます。

 

 そして、徳岡氏は「彼らの会社は、紙にも書けない微妙なカンとコツで小豆を煮て、その煮方を口承してきた」と書かれており、先の林真理子氏の文には次の記述があります。

 

 帳場の横では、若い娘さんが五人で赤福をつくっていた。眺めていると赤福のあの波形が指によるものだということがよーくわかる。会長さんにもおめにかかったが、非常に教養ある文化人で、伊勢の歴史をわかりやすくお話ししてくださった。

 編集者が教えてくれた。

「ハヤシさん、赤福というのは一年間に八十億円売れているんです。これは単品のお菓子としては世界第一位じゃないですかねえ。三個入りパック二百八十円のお菓子ですごいと思いませんか」

 その時も私の頭の中に浮かんだのは、火があかあかと燃えているカマド、昔の茶屋そのままに、上り間口に座ってあんころ餅をぱくつく人たちである。

「そうよねー、赤福って本当に福があるお菓子よね。食べて幸せ、売って幸せ、あんなお菓子、ちょっとないわよね」

 としみじみ頷いた私であるが、それが今回の事件である。あの幸福なお菓子が冷凍ものとは知らなかった。そうだよなあ、大阪駅にもあんなに積んである赤福、売れ残ったらどうなるんだろうと、どうして誰も考えつかなかったのであろうか。

 しかし私のまわりでは、「赤福はやっぱりこれ、これからも買う、だっておいしいんだもの」という意見が多かった。確かに、あの味、食感はやはり捨てがたいものがある。

 

 凄いではありませんか!!!

1パック二百八十円のお菓子が一年間に八十億円売れている」と言う事は、1年に、0.2857・・・億パック、即ち、2857千万パック強売れていることになります。

赤福の個数に直しますと、その3倍の8571万個強が売れているのです。

1365日で、1日換算で、約235千個となります。

 

 こんなに沢山の赤福を、徳岡氏の書かれているように「彼らの会社は、紙にも書けない微妙なカンとコツで小豆を煮て、その煮方を口承してきた」製法で作るが可能でしょうか?!

 

 林氏は次の記述はその場だけの風景ではありませんか!?

「帳場の横では、若い娘さんが五人で赤福をつくっていた。眺めていると赤福のあの波形が指によるものだということがよーくわかる」

 

 林氏が目撃したこの製造風景から、1日に約235千個の赤福が出来るでしょうか!?

それだけの数の赤福に指で波型をつけられますか!?

 

毎日新聞(1019日)には次の記述がありますから、「赤福本社工場や名古屋工場、大阪工場」の少なくとも3箇所の工場で量産していたと推測されます。

なのに、徳岡氏、林氏の赤福餅の製造に対する認識はどう解釈すればよいのでしょうか!?

 

 老舗和菓子メーカー「赤福」(三重県伊勢市)が製造日や消費期限を偽装していた問題で、赤福の浜田典保社長は18日深夜記者会見し、売れ残りや返品商品など店頭から戻ってきた商品についても冷凍し、解凍後、消費期限を再設定したうえで再包装して再出荷する「まき直し」行為をしていたことを認め、謝罪した。店頭回収した赤福餅を餅とあんに分離して「むきもち」「むきあん」と称して再利用していたことも明らかにした。

 

 これを受け三重県は19日、消費期限切れの赤福餅を売っていた疑いがあるとして、浜田社長に無期限の営業禁止を伝えた。県、農林水産省、名古屋市などは赤福本社工場や名古屋工場、大阪工場の立ち入り調査をした。

 

 自社の管理外にある店頭から持ち帰って消費期限を再設定、再出荷する行為は、食品衛生法に違反する。浜田社長は製造日不正表示の発覚後、こうした行為を強く否定していたが、説明を一転させた。

 

 新たに判明した「むきもち」「むきあん」は本社工場で分離した後、「むきあん」はグループ会社の「和菓子の万寿や」(伊勢市)に全体の50%に当たる月6〜3トンを販売。むきもちは99%は焼却処分したが、残る1%は赤福餅に再利用していた。三重県はこの行為も食品衛生法違反に当たる疑いがあるとみて調査する。分離作業は1月を最後にやめたという。・・・

 

 このような赤福に林氏たちは“赤福って本当に福があるお菓子よね。食べて幸せ、売って幸せ、あんなお菓子、ちょっとないわよね”、更には、“私のまわりでは、「赤福はやっぱりこれ、これからも買う、だっておいしいんだもの」という意見が多かった と認識しています。

 

 私の口は、呆れてあんぐりと開いたままになってしまいます。

私の母は、生前、赤福が大好きでしたから名古屋(伊勢ではありません!)に出張に行く度に、お土産に赤福を1折(10個以上入っていましたでしょうか?)買って来ました。

私(大の甘党)も、一つほど食べたりしましたが、一度も美味しいと思った事はありませんでした。

(私は、どちらかと申しますと、赤福のようなコシアンよりも、小豆の皮が残っているツブシアン、更には、ツブアンが好きです)

 

 では、又、徳岡氏の記述に戻ります。

 

 寒い冬でも店を開け放して御客様を迎えている商売人をいじめて、マスコミは面白いのか。長い年月を重ねてきた者への敬意は、持ち合わせないのか。ジーンズの股を広げて優先席を占領している若者と、そっくり同じ神経じゃないか。

 JAS法はおろか、消費者というコトバや総理大臣すら存在しなかった三百年の昔から、赤福はず一っと商売してきて、お客様に喜んでいただき、今日がある。「赤福で当たった」話を聞いたことがない。生きた現実を見ずに、紙に書いた法律の方を重んじよというのか

 

 この記述も全くでたらめではありませんか!?

本来、老舗は「寒い冬でも店を開け放して御客様を迎えている商売人」であった筈です。

しかし、赤福は今や、「赤福本社工場や名古屋工場、大阪工場」を有し、「赤福というのは一年間に八十億円売れているんです」との大菓子メーカーではありませんか!?

工場生産に励んでいる大菓子メーカーが老舗を名乗る資格がありますか!?

 

 そして、この徳岡氏の“「赤福で当たった」話を聞いたことがない・・・”は、週刊文春のコラムでは次のように「食中毒患者は一人も出ていない」と記述しています。

 

 食中毒患者は一人も出ていない。事件は告発に発し、告発はウサンクサイものである。

内部告発は、老舗の身内の内輪もめが多い。外部告発とは、商売仇の告げ口である

どちらも正義とは言い難い。

 

 そして、この週刊文春の「内部告発・・・外部告発・・・」に関しては、徳岡氏は次のように書いています。

 

 続いて登場したのが秋田の比内鶏、山梨のほっかほっか亭、美濃の川上屋、佐費のヒジキ、鹿児島の漬物……。マスコミは勇んで「魔女狩り」を開始した。

 ミートホープから船場吉兆に至るまで、社長は違法行為がバレると、最初のうち社員やパートの責任にした。そのことで「悪人」にされた側が反発して内部告発し、かえって傷口を広げた例がいくつもある。

 しかし、内部告発がみな正しいか?外部告発の中には、商売仇の意趣晴らしもあるんじゃないか?

 不二家を告発した「元パート」が、いかに正義の仮面をかぶってTBSテレビに登場し、みのもんたが真に受けて不二家に断を下した(後に謝った)か、その失敗例を御記憶だろう。正義派の告げ口には、えてして空ろな響きがある。

 

 でも、週刊文春並び徳岡氏が「外部告発とは、商売仇の告げ口である意趣晴らしもあるんじゃないか?」と非難するこの「商売仇の告げ口意趣晴らし」がらみで、山田洋行と日本ミライズが暗躍した防衛省の暗部が明るみに出てきたのではありませんか?!

 

 それに、食物は「食あたり」しなければ良いという問題ではありません。

私は、先に書きましたように、赤福がうまいと思った事はありません!!!

 

 そして、この「消費期限」、「賞味期限」のお陰で、私は会社を辞めて歌の世界に飛び込んで収入が途絶えた時には、随分助かりました。

その頃、家の近くに親切な方がコンビニエンス・ストアのオーナーになられました。

ですから、夜(優しい奥様が店番をしている時刻に)、数枚のコピーの為にそのコンビニに行きました。

そうすると、「消費期限」、「賞味期限」が切れて廃棄処分になる(なる寸前?)の御弁当やおかずを袋一杯に詰めてくれました。

私は、それらを家の冷蔵庫に保管して、何日も食べつなぎました。

(当然何日も消費期限を切れていたものを食べていました)

そして、それらが無くなると、数枚分(数十円分)のコピーに又出かけて、食料を補給していたのです。

 

 更には、ある友達などは、“冷蔵庫を整理していたら、1年以上も前に消費期限の切れているハムがあったので食べて?”とそのハムを下さいました。

梱包はしっかりしていましたが、ハムの中心部は、グチョグチョで、汁が垂れてきました。

でも周りの部分はしっかりしていましたから、その部分だけ熱を加えて食べました。

でも、「食あたり」しませんでした。

 

 そして、「消費期限」、「賞味期限」表示では、逆に彼ら食品メーカーなどは利益を蒙っては居ませんでしたか?

私の知人の多くは、「消費期限」、「賞味期限」の過ぎた食品は食べずに捨てています。

そして、スーパーなどに行けば、主婦達は、少しでも「消費期限」、「賞味期限」が長い品を陳列棚をひっくり返してまで探しています。

そうすると、当然ながら「消費期限」、「賞味期限」が間近な食品は売れ残り、あげくのはては期限切れになり廃棄されます。

となりますと、その期限切れ分は新たな仕入れを呼び込み、食品メーカーの売り上げ向上に役立ってきたのではありませんか?!

 

 そして、この件に関しては、もっと考えさせられる事があります。

週刊金曜日(1116日号)の次の記述(鎌田慧氏)です。

 

 もっとも需要の多い弁当やおにぎりは、仮需要(見込み)だから、大量に売れ残って廃棄されている、という。そんなことがあるとは、この取材をするまで知らなかった。ここもまた、大量生産、大量廃棄のムダな生産だったのだ。賞味期限切れの弁当をコンビニでもらって生活している、とホームレスから聞いてはいた。が、コンビニ全体で、一日当たり一二〇万個、六億円が廃棄されている、とは、おそらくだれも想像していない。儲けるための無駄な生産だが、あまりにも異常だ。日本の食料の自給率は四〇%たらずなのに、なんたる飽食か!

 

 そのおにぎりや弁当の見込み生産が、コンビニ経営の喉元を絞めている。普通なら、原価八〇円のおにぎりを一〇個仕入れて、一〇〇円で八個売れば八〇〇円の売り上げになる。

仕入れ値は八〇〇円だったから、それでトントンになる。ところが、本部は売れ残った二個の原価、一六〇円分も売れたことにして儲けに計上させ、それに「ロイヤリティ」を掛けてくる。この廃棄ロスばかりか、万引きのロス分も、加盟店が負担させられている

「ゴミになったものは、必要経費で落とせます。ご安心下さい」「売れなかったものは、仕入れ原価にふくみません、ご安心下さい」といわれていた。ところが、実際は、廃棄したものも、利益に計上させられている。

・・・

 

 鎌田慧氏は、コンビニ経営者たちが蒙っている悲惨な事例を他にも沢山紹介してくれています。

その悲惨さから逃れる事が出来なかった為か、親切な近所のコンビには倒産して、ご家族は今何処に居られるかも分りません。

 

 このような「消費期限」、「賞味期限」に関する大きな問題を一度も紹介することなく、週刊文春や徳岡氏は駄文を提供しているのです。

駄文だけではなく屁理屈を捏ねているのです。

 

徳岡氏の“「赤福で当たった」話を聞いたことがない・・・”や、
週刊文春のコラムでの「食中毒患者は一人も出ていない」が罷り通るなら、
料理屋レストランは「客の食べ残し」を再利用すれば良いのですし、
床に落ちたりゴキブリが這い回った食材もそのまま使えばよいのですし、
ネズミだってお構いなしの存在なるでしょう・・・

 

 更に、週刊文春は次のようにも書いています。

 

 早朝の茶会にと、菓子の大量注文があった。菓子舗はその注文のために徹夜で働き、午前零時以前の製品には前日の製造日ラベルを貼るのか?

貼れというのか?

・・・

 赤福は、そもそも製造日を表示する義務など存在しなかった。新しいよ!と強調するため余計な細工をした。

 ひっかかったのは食品衛生法ではなく、「○月○日謹製」を二重表示したJAS法違反。不器用なことだった。

 無期限の営業禁止とは気の毒だという同情は、新聞には全くないのか。

 

 この「前日の製造日ラベルを貼るのか?貼れというのか?」と書く週刊文春のコラム担当者(翼氏)のジャーナリストの資格を疑う見解です。

厚生労働省のサイトを訪ねれば、“従来の「製造年月日」に代えて「品質保持期限」又は「賞味期限」若しくは「消費期限」のいわゆる「期限」を表示する”のだと言う事が、直ぐ分かる事です。

http://www.mhlw.go.jp/qa/syokuhin/kakou2/index.html

 

 食品衛生法及びJAS法に基づく食品等の日付表示については、平成7年3月までは、製造年月日表示が義務付けられていたところですが、厚生労働省の検討会及び農林水産省の懇談会それぞれにおいて、消費者、事業者を含む委員により食品等の日付表示のあり方についての検討が行われました。その結果、・・・

平成7年4月から、従来の「製造年月日」に代えて「品質保持期限」又は「賞味期限」若しくは「消費期限」のいわゆる「期限」を表示することとなり、食品衛生法に基づき、すべての加工食品に期限表示がなされることとなりました。また、JAS法においても、平成13年4月以降、すべての加工食品に期限表示を表示することとなっています。

 なお、製造年月日のみを表示することは認められませんが、必要な期限表示を適切に行った上で、消費者への情報提供として、一括表示の枠外に任意で製造年月日を表示することは差し支えありません

 

 そして、“新しいよ!と強調するため余計な細工をした。ひっかかったのは食品衛生法ではなく、「○月○日謹製」を二重表示したJAS法違反”の記述には呆れてしまいます。

新しいよ!と強調するため”ではなくて“新しいよ!と騙すために余計な細工をした”のではありませんか!?

 

 その上、赤福では、売れ残り製品を包装し直し、消費期限を再設定したりした商品を出荷する際、製造年月日表示の後などに「−」や「・」を付け社内で見分けられるような細工までしていたのではありませんか!?

 

 なのに、徳岡氏は「生きた現実を見ずに、紙に書いた法律の方を重んじよというのか」と憤慨されていますが、私達は、老舗に対して「誠意、誠実さ」を求めているのではありませんか!?

そして、私達日本人は、この「誠意、誠実さ」を長い歴史の中で、ずっと大事にしてきたのではありませんか!?

 

 なのに、この「誠意、誠実さ」が彼らの製造態度に、そして、釈明の態度に見る事が出来ましたか!?

彼らの「誠意、誠実さ」の欠如の原因までも小泉元首相であるとは申しませんが、

私達は一刻も早く小泉元首相の呪縛から逃れて、本来持っていた「誠意、誠実さ」を取り戻すべきです。

 

長くなりましたので、続きは《賞味期限切れの日本人(2)〈週刊文春と「赤福」の関係〉》につなげたいと存じます。

 

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