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私は、田中康夫氏を支持します

2002年8月16日

宇佐美 保

 今朝の朝日新聞の社説には、次のように書き出されています。

長野知事選――さて、ふさわしい人は 

知事不信任に伴う長野県の出直し知事選が始まった。

 この選挙が全国的な関心を呼んでいるのは、再出馬した前知事のユニークなキャラクターや県議会との派手な立ち回りのせいだけではあるまい。知事のやるべき仕事、議会とのかかわり方、公共事業をめぐる県民の合意をどうやって形成していくかなど、どこの自治体にも共通する問題が、わかりやすいかたちで示されたからだろう。

 いまの時代にふさわしい知事の条件を考えさせられる機会だ、ともいえる。

……

おかしくはありませんか?

田中氏の有力な対抗者と言われる長谷川敬子氏は、テレビ(サンデー・プロジェクト)で、“田中さんは本来なら、議会を解散させるべきであった”と発言していました。

私もそう思います。

今回のような訳の分からない知事不信任案を可決してしまう県議会をこのまま放置して良い筈はありません。

しかし、反田中派が圧倒的多数を占め、且つ、解散選挙をしたところで、又、同じようなメンバーが再選してしまう現状を田中氏はどう打開したら良いのですか?

 

 この県議会議員たちの横暴を諌めるには、今回の田中氏の採った手段のように、県議会はそのままにして、田中氏が長野県民の圧倒的支持のもとに再選されることではありませんか!?

 

ですから、長谷川氏も、県議たちの横暴を非難するなら、今回は知事選に立候補すべきではないのです。

 今回の選挙は、「知事を選ぶのではなく、県議会の横暴を許すのかを問う選挙です」

 

 “県議会との対話が無く独裁的な田中氏は、民主主義国家における知事にふさわしくないからこの際、知事も変えるのだ”との建前で立候補するのでしょうが、民主主義には近道は無いのです。

民主主義を標榜するなら、今回は、最も民主主義を蔑ろにしている県議会議員の非を、先ず問うべきです。

 

 小林信彦によるコラム“スミス、長野へ行く”(週刊文春:200.8.8号「人生は五十一から」)に於いて次のように書いています。(抜粋ですが)

……

 日本の新聞、テレビが政局の真実を伝えないことは、いまや、タクシーの運転手の中での怒りのタネである。

……

 戦争中に似た状況であるが、新聞、テレビだけでなく、ラジオもかなり腰が引けてきて、怪しい。

 田中康夫前長野県知事が自分の理念をえんえんと述べ、県議会議員が罵声を発し、あるいは退席してゆく光景から、ぼくは有名な映画の有名な場面を想い出していた。

 フランク・キャプラ監督の一九三九年の名作「スミス都へ行く(Mr.Smith Goes to Washington)」 のクライマックスである。

……

 いうまでもないことだが、田中氏はこんな無邪気な理想主義者ではない。

関西大震災や神戸空港反対運動で、さまざまな裏切りを体験してきたリアリストだと思う。見た目がリアリストらしくないから、理想主義者呼ばわりされるので、あの目つきはどうみても、単純な理想主義者ではない。

 にもかかわらず、県議会議員たちが反感を持ったのは、(いやだから、いやだ)という〈気分〉からだったと推測する。ラジオで日刊ゲンダイの二本啓孝氏が、彼らの本音をきくと、こうなんです、としゃべっていたから、まず、間違いないと思う。

〈いや〉というのは、肌合いの問題である。〈いや〉だから、二木氏のいう〈バンザイ突撃〈玉砕〉〉を敢行したのである。民主主義がわからない年代の人がいたとしても、イデオロギーや方針の問題ではない。〈なにか、ベトッとしたいやなもの〉という生理的嫌悪感からの行動である。田中氏以前の知事と仲良くやってきた人たち(テレビで顔を見れば、よくわかる)にとっては、刺身にジャムと納豆とチトスをつけて食べろ、といわれたようなものではないだろうか。

 正直なところ、ぼくは今の日本が民主主義国家とは思っていない。自民党はもちろん、民主党も今のところ絶望的である。ただ、住基ネットへの接続を拒否した福島県矢祭町長のような人が筋の通る正論を述べているのが、わずかな救いだ。個人情報を悪用するのが目に見えているネットワークなど、危険きわまりないではないか。

 ここに書かれている、“、県議会議員たちが反感を持ったのは、(いやだから、いやだ)という〈気分〉からだったと推測する。ラジオで日刊ゲンダイの二本啓孝氏が、彼らの本音をきくと、こうなんです、としゃべっていたから、まず、間違いないと思う。”との県議会議員たちの思い通りになって良いのですか!?

 

このような“いやだから、いやだ”が罷り通ってしまっては、子供達の「ムカつく」とか「キレル」とか言うとんでもない言葉と行動を咎める資格を、私達は破棄しなくてはなりません。

そんな社会で良いのでしょうか!?

 

 何故この点を、マスコミは強調しないのですか?

私には、記者クラブが廃止し、マスコミ(特に朝に新聞)と対立をした田中氏に対するマスコミの「意趣返し」を感じます。

社会の「公器」である、新聞がこの大事な局面で、「意趣返し」等をしている場合ですか!?

 

他の立候補者たちも、“田中氏が改革を着手したことは評価するが、これからは、彼の手段では駄目で、自分に任せろ”と言っているようですが、如何なものでしょうか?

なにしろ、最初に名乗りをあげた長谷川氏は、彼女の旧体制内での活動もさることながら、「市民派宣言」しながらも、多くの市長や県議らの支援を受けている事実からみても、旧体制の復活を望む勢力によって担ぎ出された存在であることは確かでしょう。

 

 東西ドイツの壁は、破れるまでは大変でした。

しかし、壁が破れたからといって、ドイツには期待していた幸せは直ぐにはやって来なかったのです。

彼等は、今懸命に、新たな未来へ向けて頑張っているのでしょう。

彼等にとって幸いなのは、東西を隔てていた壁は、以前のように復活はしないでしょう。

 

 しかし、長野の場合はどうでしょうか?

小泉首相の言を待つまでも無く、改革は「一朝一夕」には達成されないのです。

景気だって魔法のように直ちに回復させる手立ては無いはずです。

自民党をぶち壊すと言って国民の期待を一身に背負って登場した小泉首相は、抵抗勢力と裏での話し合いを重ね国民の信頼を落とし、次の首相としては独裁者的色彩の濃い石原都知事が期待されるのに、何故、田中氏が議会との話し合いが少ないとか、独裁者的だとかで非難されなくてはならないのですか?

田中氏は、改革を一歩一歩進めようとしてきたのではありませんか?

田中氏を“嫌だから嫌だ”と子供のようにごねる県議会議員との会話が不足と責める前に、地道に市民との車座集会を繰り返してきている田中氏を何故マスコミは評価しないのですか?

 

唯一、はっきりしていることは、“長野を夜明け前に戻すな”と田中氏の訴えるように、長野の県政が簡単に旧体制に戻る可能性は大なのです。

(補足:1)

 8月4日の朝日新聞には次のような記事があります。

 長野県須坂市の元会社員(61)は、自分のホームページを久しぶりに開いた。田中陣営のボランティアとして汗を流した日々の記録だ。ビラを配り、声をからした。

 でも、今回は参加しない。あの気持ちには、戻れないからだ。

 当選後、確かに「田中効果」を感じる。県職員の態度がよくなった。車座集会などで知事と直接言葉を交わせる。

 だが、当選から4カ月後に公表した「脱ダム宣言」に唐突さを感じた。立候補時の公約にはなかった。「こんな大事なことを議会に諮らず、突然言うなんて」

 その後、側近や幹部職員が離れるのを見て「やはりおかしい」と思った

 理念は、よし。でも実行にうつす段取りが、あまりにも稚拙だ。部下を使いこなせない人格にも、不信が募る

 同じ課題を抱えた全国の知事との連携や、議会とのつなぎ役、ブレーンが欠かせないはずなのに。「このままじゃ、裸の王様になる」

 今のところ、田中氏に投票するつもりはない。かといって、県議の言いなりになる候補も選びたくない。改革の中身をぶつけ合う選挙戦を、まず見たい。

 田中康夫氏への反対論を展開するマスコミは、ここに抜粋した記事のように“側近や幹部職員が離れるのを見て「やはりおかしい」”とか“理念は、よし。でも実行にうつす段取りが、あまりにも稚拙だ。部下を使いこなせない人格にも、不信が募る”と田中氏を非難します。

 

 しかし、改革を実行するには、強い意志と勇気が絶対に欠かせません。

「脱ダム」を今回の他候補者も標榜していますが、しかし、他候補者は本当に「脱ダム」を最後まで貫くでしょうか?

私は、「脱ダム」を貫くのは大変な勇気が必要と思います。

何しろ、最近も、日本各地で台風の影響などで、洪水の被害に見舞われていますし、特にヨーロッパでの大洪水の模様も報道されています。

私が、田中氏の立場に居たら、“万一、長野県に洪水が発生したらどうしようかと思い”夜も眠られなくなってしまうでしょう。

ですから、「脱ダム宣言」を話し合いの結果として適当に妥協して、2つのうち1つ位は、ダムを建設してしまった方が、お気楽になりたいと思うでしょう。

しかし、田中氏はそのようなことをしません。私は、そのような辛い試練に耐えている田中氏を立派だと思います。

 

 そして、そのような試練を(田中氏共々)耐えられる側近や協力者が本当にいるのでしょうか?

(更には、不況の今、「理念」では飯は食えないと言って、「今日の飯」を求めて離脱する応援者も御座いましょう。)

 

 それに、“理念は、よし。でも実行にうつす段取りが、あまりにも稚拙だ。部下を使いこなせない人格にも、不信が募る”との田中氏非難は、同じ田中氏でも、田中真紀子氏への非難ではありませんか?

田中真紀子氏くらいの異常さだったらともかく、一般的な場合は、「よき理念を持ち、それを貫こうとするヘッド」が居たら、そのヘッドを何とか支えようとするのが人の道ではありませんか?

 

 もっと日本人は、「よき理念を持ち、それを貫こうとするヘッド」が貴重で稀有の存在であることを認識すべきです。

 

 

(補足:2)長谷川氏は“目覚まし時計と評価された田中氏は、長野が目を覚ました今、何時までもなり続けられては迷惑”とがなっていましたが本当でしょうか?

 

 8月4日の読売新聞には、田中氏を民主主義の目覚まし時計と評価した張本人の八十二銀行会長の茅野実さんに関して、次のように書かれています。

……前回選で田中氏初当選の原動力となった県経済界のトップ2人が、静観を続けている。有力地銀・八十二銀行会長の茅野実さん(69)と、同県商工会議所連合会長の仁科恵敏さん(68)。物心両面から田中氏を支援した2人の“音無しの構え”は、田中陣営の戦い方にも影響しそうだ。

 「今回は、私がこん身の力を込めてやらなければならない問題はない。(前面に立つ考えは)今のところない」。茅野さんは読売新聞社の3日までの取材に、こう言い切った。

 前回知事選で、茅野さんが政治の素人だった田中氏を担ぎ出してまで立ち向かった「問題」とは、県政の旧体制だ。当時の長野県は2代41年間、副知事出身の知事による官主導の県政が続いた。その後継として議会や市町村長らが推したのも、また副知事。既定路線に異論は挟ませないという雰囲気に怒りがわいた。

 「田中さんは民主主義の目覚まし時計」。田中氏当選時、茅野さんが語ったこの言葉に、それまでの思いが凝縮する。

 しかし、今回は状況が違う。田中知事の誕生で、「風穴があいて、ものが言いやすくなった」とし、「今回は県民が問われる選挙。県民一人一人が考えることです」。自分の役割は前回で終わったとでもいうかのように、淡々と語った。

 一方、長野商工会議所会頭でもある仁科さんは、完全に沈黙したまま。……

 茅野さんは前回、銀行OBを選対に引き入れ、資金面などの実務を担当させた。2人の行動は、県や議会への配慮から田中氏支援をためらっていた人を後押しする結果となった。その2人の静観は何を意味するのか。

 田中氏は最近の集会で、「茅野さんには『信念を貫き通せ』と言われた」と強調している――。

 前回の田中氏当選の後に、八十二銀行に対して、預金の引き出し運動の脅迫が舞い込んだのではありませんでしたか?

それなのに、茅野氏は “今回は状況が違う。田中知事の誕生で、「風穴があいて、ものが言いやすくなった」”と本心から思われているのでしょうか?

茅野氏は、田中氏抜きでも、長野が目を覚ましていると本当に思っているのでしょうか?

茅野氏の本心は、田中氏への“『信念を貫き通せ』”との言葉に託されているのではないでしょうか?

 

 何しろ、マスコミは県議会を非難するよりも、田中氏批判に熱心なのですから、そして、県議会議員を賛美する記事まで書く輩が居るのですから。

次には、最近の週刊朝日の、ノンフィクション作家たる吉田司氏の記事を抜粋します。

……

 最後に、不信任案可決の急先鋒だった政信会の浜康幸県議に会った。

 「再選されたら、田中は自分を選ばれた『神』と信じこむだろう。私は、田中を選んだ長野県に絶望する。もう政治はやめるよ。普通の人にもどるよ……」 

 この男、すでに陰腹を切っていた。この女性票ムンムンの田中的長野県に、まだサムライの、″男の美学″が残っていたかと思った。 ……

 おかしくはありませんか?

吉田氏が持ち上げるように、浜県議が、立派な人物だったら、田中氏の前に改革の狼煙をあげているべきです。

更におかしいのは、「私は、田中を選んだ長野県に絶望する。もう政治はやめるよ。普通の人にもどるよ……」と言っている人物に「まだサムライの、″男の美学″が残っていたかと思った。」とは何なのですか。

若しも田中氏が長野にとって悪だとしたら、どんなことになっても最後まで戦うのがサムライではありませんか!?

 こんなおかしな記事を載せるマスコミに踊らされて、「不信任案可決」を正当なものと信じ込み、現状の県議会の存続を助けてしまったら、長野はたちまち深い眠りに戻ってしまうのではありませんか?

  1999年の夏、消防団員等の再三の注意を無視して、玄倉川の中州でキャンプして続けて、挙句の果ては濁流に飲まれ、そして、消防団員らの必死の活動で救助された連中を、マスコミ上で、はっきりと非難したのは、田中康夫氏一人だけでした。(若しかしたらもう一人、ビートたけし氏も?)、私には、田中氏にこそ“サムライの、″男の美学″が残っている”と思います。

 

 

(補足:3)長野県は、東京都や三重県などと違う

 先々週だかのサンデープロジェクトで、田原総一郎氏はゲストの石原慎太郎氏に“石原さんは都議会との関係をうまくやっているのに、何故田中さんはうまく行かないのでしょうね?”と質問しましたが、石原氏は確たる答えを提示はしませんでした。

石原氏の答えを待つまでも無いでしょう。

東京都の選挙民は、箱物の公共投資を望んでいないのです。

箱物公共投資を都議会議員は自分の選挙地盤に持ってきても彼の票に結びつかないのです。

都議会の多数を占める自民党都議会議員は、従来の自民党政治の継続では、次の選挙では勝てないのです。

(自民党系の都会議員は、前回は、小泉首相のおかげで生き延びましたが、次回の選挙では、現在小泉氏の次に国民的人気のある石原氏に頼るより仕方ないのです。

そんな彼らが、どうして、石原氏に楯を突くことが出来ましょうか!?)

 

更に、マスコミなどは、田中氏は、三重県の北川知事、宮城県の浅野知事、鳥取の片山知事などの連携チームに何故加わらないのか?と疑問と非難の声を上げます。

連携チームを作っている知事さんたちは、今もって高速道路などが欲しいのです。

ですから、猪瀬直樹氏に対抗するためにも、連携を深める必要があるのです。

ところが、長野では、オリンピックの名目で、高速道路も、新幹線も更には各種の施設も出来上がっているのです。

だとしたら、対猪瀬直樹戦線に加わる必要は無いではありませんか!

 

 

(補足:3)それに、私は、石原氏を信じません

 石原氏は、中国人の嫌がっているのに“シナは英語のChinaから来ているのだから、シナと言っても不自然なことではない。”といって、中国のことを盛んに「シナ(支那)」と呼んでいました。

確かに、「支那」は、語源的には、「秦」に由来しているのでしょうが、中国人にとっては、戦前戦時中、日本人から支那支那と侮蔑的にいわれ続けた屈辱がぬぐいきれないのだと思います。

たぶん日本人の心の奥には、「支那」の「支」は、「枝葉」との意味合いを感じていたでしょうし、「那」は「邦」を感じさせ、「幹」である日本から見て「中国」は、「枝葉の国」との意味合いを感じていたでしょう。

ですから、殊更に中国人は、日本人に「支那」(シナ)と呼ばれるの拒否するのでしょう。

 もう何年も前に、日本の要人が、(どなただったか、又、詳しいことも忘れてしまいましたが)アメリカで記者から、“日本人をジャップと呼んでもかまわないか。”と質問されて、“別に、かまわないのでは?”と答えて、特に、日系アメリカ人から大顰蹙を買ったことがありました。彼は “ジャップ、ジャップ”と呼ばれて侮蔑されてきた日系人たちの過去に無知だったのです。そして、彼等が努力を重ねてやっとアメリカ人たちに“ジャップ”と言わせないだけの地位を築き上げてきた苦難の歴史に無頓着だったのです。

この件に関して、石原氏は、“ジャップとは、JamsをJimと、又、ThomasをTomと言うように、JapaneseJapと呼んでも良いではないか!”と言えるのですか?

 他人の嫌がることに無頓着な石原氏に政治家の資格があると言えるのでしょうか?

何故マスコミはこの点を突かないのですか?

 石原氏は、北朝鮮に拉致された人たちを救うためには、日本国は、北朝鮮へ戦艦を差し向けてでも、拉致された方々を救出すべきと語っています。

もし、そこで交渉が拗れて、戦艦が発砲して戦争になっても、北朝鮮の方々や、或いは拉致された方々が人質として砲弾の楯とされ、終いには殺されてもかまわないと思われているのでしょうか?

 私は、戦艦を送り込むよりも、よど号事件の際に乗客の身代わりの人質として、北朝鮮へ行った(当時の)山村新治郎運輸政務次官のように、石原氏は単身北朝鮮に乗り込んで身を賭して、拉致された人の救出に励むべきと存じます。

 

 戦争はいつも、戦争を仕掛ける人が安全なところに納まり、戦争の意味も分からない人たちが、前線に送られて命を落とすのです。

戦争を口にする方は、「石原氏をはじめとして、戦争を仕掛ける人たちが率先して前線に身を投じなければいけない」とでもいう国際条約をどうか締結してください。


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