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お客様は神様です(三波春夫)

200231

宇佐美 保

 今は亡き国民的大歌手、そして、「お客様は神様です」の名文句を残された三波春夫氏を昨年、日本テレビの番組「知ってるつもり」で、取り上げておりました。

そこで、以下に番組の一部を載録してみます。

日本音響研究所 鈴木松美所長は、“一般の人は60歳を過ぎると音声が極端に劣化し、音圧が弱くなる。三波さんは、39歳のときの声と75歳のときの声を比較しても殆ど変化していない。”と発言されておりました。

しかし私が付け加えますと、高音域を発声する事は、年を重ねると体力の衰えから大変困難になる為、三波氏といえども晩年は音を下げて歌っていたようです。

 

しかし、三波氏の発声は大変立派な歌手でした。

私が、戦後最高のテノールとして活躍された今は亡きマリオ・デル・モナコ先生から、かって教わった“歌うときは話すように、話すときは歌うように”を見事に実践されておられたのですから。

なにしろ、三波氏は、歌であり語りである浪曲に、16歳で芸名南條文若でもって浪曲師としてデビューし、33歳で、歌手に転向した背景を持たれているのですから。

なのに、優れた歌手に対しては、「派手な衣装成金趣味」だ、そして、「お客様は神様でございます」とは、商売気たっぷりだとの非難もありました。

しかし、この衣装に関しては、夫の芸を陰で支えていた三味線のゆき夫人が「舞台衣装として男性か主としては初めて着物を薦めた」との経緯を忘れてはならないでしょう。

更には、はたして、「お客様は神様でございます」とは、お客様への徹底したサービス精神が言わせたものなのでしょうか?

 

ここに、番組中で紹介された三波さんの話を以下に載録します。

舞台の上では、神様の前で拍手を打ちような心境にあるわけで、

私をそうしてくれるのが、お客様

お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。

お客様の力に、自然に神の姿を見るのです。

 

僕が「お客様は神様でございます」と言っているのはね、実はもう遥か千年も昔からその精神で芸っていうのはやってきたんですよ。

お客様は神様のつもりでやらなければ芸ではなかったんですね。

 そして、三波春夫さんに詞を提供したコラムニスト泉麻人氏と、「三波春夫という永久革命」の著者の平岡正明氏は、以下のような番組中での発言にて、三波さんの「お客様は神様でございます」の言葉の本質は、巷間言われている“お客様への徹底したサービス精神”でないことを見事に見抜かれて居られます。

泉氏は、“凄いなあと思ったのは、ジュリアナ東京みたいな若い人たちの場に媚びようとか馴染もうとか言うものがなく、そのまま三波さんをやっている。三波さんはどこへ行っても三波さんのまま。”と語っておりました。

 平岡氏は、“三波春夫は大勢順応の天才とも悪口を言われたが、本当にそうなら2年間で神経が磨り減る。

そうでなくて、大勢から離れて自分を保つ為の“隙”を持っている。この隙が三波さんの“神”だと思う。”と発言し三波さんの大衆迎合性を否定されています。

 

 更に、平岡氏は次のように続けていました。

“「お客様は神様でございます」は人を釣るためのテクニックでもキャッチフレーズでもない。日本芸能史の基本的発想 日本の芸能史は語り物で、必ずその土地の神に祈って始める祝詞である。そこに住む人々の健康と豊作を祈って(その土地から)去るという。

この構造を三波さんはずっと持っていた。”と判った様なわかり難い事を発言されておりました。

 

 しかし、この発言の後段部分の“日本芸能史の基本的発想……”は、三波さんのお気持ちから少し離れているようです。

 

 そこで、三波さんのご発言を私なりに書き換えさせて頂きますと以下のようになります。

日本の芸能始まりは、神仏への奉納芸である。

従って、舞台に立つ時は、神様の前で歌うのだとの神聖な気持ちになる。

その時客席には、神様の化身としてのお客様の姿を見る。

この神様の化身としてのお客様のお力によって、普段とは違う自分の力が引き出され舞台に生かされる。

ですから、「お客様は神様です」と思うのです。

 

 ところがこの三波さんの真意を日本人の大多数は、“「お客様は神様でございます」とは、お客様への徹底したサービス精神が言わせたものなのだ”と誤解してしまいました。

この結果、日本は大変不幸な状態に突入していったのです。

即ち、この誤解された関係が、舞台と客席に留まらず、一般的な社会生活にまで蔓延ってしまったのです。

 

 客はお店に行くと、客こそは神であるのだから、店員は客のどんな無理難題にも対処すべきであり、客有ってこその店なのだとの傍若無人な態度で買い物をします。

そして、この横柄な客に対して、店員は平身低頭して仕えなければならない不思議な世界が日本に現出してしまったのです。

そして日本にあった素敵な言葉の「御互い様」(更に、この精神)を忘れてしまったのです。

お店なくては、客は存在できないし、客無くしては又、お店も成り立たないのです。

本来は、客もお店も御互い様なのです。

 

 そしてこの精神の根幹は、日本人の心をさせえている仏教の精神にも辿り着けるでしょう。

 

「ブッダ 大いなる旅路2」(石井米緒監修:日本放送協会発行)には、次のように記載されています。

 三一界の輪廻転生を説いているところで、在家信者にとって現世のみならず来世以降の輪廻に善き結果をおよぼす功徳を積む行為についても示されている。そのうちの一つである十善業事について見てみよう。

1 )布施 − 他人に施し寛容であること、

2 )戒 − 五戒、入戒、十戒などの戒律を守ること、

3 )修習 − サマタ(止修習)、ビバ・ツサナ−(観修習)を行うこと、

4) 尊敬 −年長者、徳の高い人を尊敬すること、

5) 作務 −善き行いに協力すること、

6) 所得の布施 − 自己の得た功徳を他の有情に施すこと(廻向)、

7 )所得の臨書 − 他人の善行を見て喜び、他人によって施された功徳を喜んで受けること(「サードウ(善哉)」と唱えること)、

8) 聴法 − 法(教え)開くこと、

9) 説法 − 法を説くこと、

10) 見直業 − 見解をまっすぐに正しくすることである。

 これは、スツタニバータの注釈書であるバラマツタジョーアィーカーのアラワカ夜叉とプツダの問答中にも含まれている。……

 この「十善業事」の中の、第1項、6項、そして、第7項の布施(功徳)は、差し出してと受け手の「御互い様の関係」でこそ成立する事を説いてもいるのです。

 

 ですから、電車の中で時々見かける風景ですが、座席に腰掛けていた若者が「どうぞ」と席を立った時に、「いえ結構です」と若者の親切を拒絶する御年寄りが居られます。

たとえ次の駅で降りるとしても、「有難うございます」と一旦若者の行為を受け取るのが、御年寄りの親切でしょう。

 そして、このようにして、若者の親切心を育ててあげるのが御年寄りの親切でもあり義務でもありましょう。

 

日本人の心を受けついでいる数少ない一人と思われる永六輔氏は、最近、田原総一郎氏との対談番組「熱論90分スペシャル」(BS朝日)に於いて、イスラムの「喜捨」(注:1)に就いて言及されていました。

“アフガン(イスラム)の感覚では、援助の受け方が私たちと違うんですよ。

彼らの感覚は援助を受ける事で私たちに恩恵を施しているのだ”と説明していました。

ですから、“援助して上げるという感覚でお金を出し合ってどうした、こうしたというニュースを見ていると、それは違う、やらせて頂きます!喜んで頂くと私も喜んでいるのですよの気持ちが必要なのです。従って、援助を受けても、いい思いをさせて上げているのだからと、その受け手はちっとも卑屈にならないと言う気持ちが大切なのだ。”とも語られていました。

 

 番組中で、田原さんは“仏教でもそうですよね。”とホローしていたと思います。

私は不思議でした。

お寺に生まれて、お経(注:2)も読まれるという永さんは、仏教の「布施」の本髄を御存じなかったのかしら?

 

 私はイエスの最も大事な(且つ、守るのも難しい)教えは、「汝の隣人を愛せ」であると常々思っております。

そして、この「愛」は一方的では成立しないのです。

隣人同士に「御互い様」の心がなくてはならないのです。

(「汝の隣人」の隣人は汝なのです。)

 

 従いまして、人間社会に於いては洋の東西を問わず「御互い様」の心が大変重要なのだと思います。

 

 ここで、もう一度、三波さんの話に戻します。

三波さんのヒット曲“万博音頭”の万博を境に、豊かさの中で人々の生活は急速に変化して行き、歌の世界も歌謡曲から若者たちのポップス中心へと大きく様変わりして行くという時代の変化のなかで、三波さんは、「くらげみたいにあっちへフラフラ、こっちへフラフラみたいではね。日本人なのか誰なのか、無国籍ってことになってしまう。真に日本人でなかったら本当の国際性というものは生まれてこない」と思われて、三波さんはこのころから自宅で、自分が信じたい日本の心、そのルーツを求めるように、日本人の歴史について夢中になって研究し始めたとの事です。

 

 そして、この晩年の三波さんとの面識を得た永さんは、博学で英知に富む三波さんから多くの事を学び、そして、もっと早くから三波さんと会っていれば良かったと、あるテレビ番組で語られておりました。

 

 その際、永さんによって紹介された三波さんの逸話の一つとして、昔小学校の校庭で見られた二宮金次郎の銅像に就いて、次のような三波さんの見解を紹介されていました。

「二宮金次郎は、仕事をするときは仕事に打ち込み、勉強するときは勉強に打ち込んでいたのだから、銅像になっている焚き木を背中にしょいながら本を読んでいる二宮金次郎の姿などは本来ありえない姿のである。従って、その二宮金次郎の銅像は、焚き木をしょって町に焚き木を売りに行く姿と、その焚き木を売って得たお金で買った本を読みながら帰る姿との二つの異なる時間の姿を一つの銅像に表している実にユニークな銅像なのだ。」との三波さんのこれまたユニークな解釈を語られていました。

 

 本当に、永さんはもっと早くから三波さんとの御面識を有して居られていたら良かったのに、とつくづく思いました。

なにしろ、三波さんの御自宅には、三波さん直筆の「その人の声は、その人の魂の音色なり」との額が掛かって居るそうです。

そして、その額の言葉に対して三波さんの御長女の八島美夕起さんは、“自分の声に責任を持たなければならないと思っていたんだと思う。良い声を出すには、自分を磨くことと思っていたのでは?”と語っていましたが、私は、三波さんの個人的な声だけに言及しているのではなくて、全ての人の声に就いて語っているのだと思います。

 

 ですから、私は、作家の阿部譲治氏の話し声を聞く度に“この人はきっと、小さい時からずっと、お母さんに甘ったれて育ってきたのかしら?”と思ってしまうのです。

 

 そして、残念な事に我が永六輔氏は、三波さんの声の感化を受ける期間が余りに短過ぎたのか、それとももう一人のご親友の役者の小沢昭一氏の声の影響が強すぎたのでしょうか?

永さん御本人は、先の田原さんとのテレビ番組で“自分はテレビより、ラジオの人間だ。”と語られておりましたが、それならばもっと一層三波さんの声の感化を受けておけば良かったのにと思ってしまうのです。

 

 更に思いますのは、御自身が神様になれれた三波さんのお声が日本人に届き、日本人の魂が蘇り、そしてその日本人の声が世界の人にも遜色ない声に変質する事をも望む次第です。

 

(補足:1

橋爪大三郎著:世界がわかる宗教社会学(筑摩書房発行)(「」内に引用)を参照し、次の注釈を掲げます。

 

(注:1

 「イスラームは五つの〔柱〕の上に建てられている。つまり、アッラー以外に神はなく、ムハンマドがアッラーの使徒であると証言すること。ならびに礼拝を行ない、喜捨を払い、〔アッラーの〕家に巡礼し、ラマダーン月に断食することである。」

 この伝承は、アル‖ブハーリーとムスリムの二人が伝えている。〜『四○のハディース』」

 

(注:2

「コーランはアラビア語で書かれ、祈りはアラビア語で捧げなければなりません。コーランの翻訳は許されない。」と言う事ですが、故中村元氏の優れた数々の労作を拝見させて頂くと、仏陀のお言葉(各種の仏典(お経))は、パーリ語で書かれていたようです。

従って、パーリ語でお経を上げるなら兎も角、訳の判らない中国語(?)でお経上げ、又、それを有難がる日本人は不思議な存在と思います。

日本語でお経を読めば良いのにと思います。

 しかし、どうも日本人は訳の判らないものを有難がる習性があるようです。

例えば、外国の歌曲などを外国人が歌うのは兎も角、日本人の声楽家なる方々が、日本語で歌うことは無く、聴衆が理解不能な外国語で歌い、それを聴衆が喜ぶと言う不思議な国です。

(但し、日本人の声楽家が外国語で歌う根本的な利用の一つは、彼等の発声が悪い為です。彼等の歌う日本語を聴衆が聞き取る事が出来ないのです。

従って、外国語で歌うのです。

でも、その外国語はその国の方が聞いたら又聞き取り不能となるでしょう。

しかし、日本人には、その理解不能の歌が、理解不能のお経と同様に、有難いのです。

不思議ですね。)

 

 

 

 

(補足:2

橋爪大三郎氏の、この著作は示唆に富んだ点は有るものの、他氏の著作同様に“おやおやそうかしら?”と思うところもあります。

 

例えば、次のようなユダヤ人の正当性に関する見解です。

ユダヤ人は、セム系の民族です。伝説的に言えばアブラハムの子孫で、今ユダヤ人と言われている人たちも、その子孫ということになります。

 もう少し具体的に言え、ば、ユダヤ教を信じている人、ユダヤの戒律を守っている人、およびその子孫ですが、母親がユダヤ人でなければならない。父系なのに、なぜ母親がユダヤ人でなければいけないか。おそらく母親が教育に主に関与するので、いくら父親の血統がユダヤ人でも、外国人の母親に育てられるとパーフェクトなユダヤ人にならないという考え方によるのでしょう

(下線処理は私が施しました)

 わたしは、この橋詰氏の見解を指示できません。

全く科学的知識が無くても、母親から生まれた子供は母親の血を引き継いでいる事は、認識できます。

従って、ユダヤ人の母親から生まれた子供は、ユダヤの血を引いている事が明々白々なのです。

 しかしながら、科学が未発達な時代に、生まれてきた子供に対して父親の血統が注ぎ込まれているのかどうか理解できたでしょうか?

母親の卵子と、父親の精子とが結合した結果子供が生まれるとの科学的認識を得る為には、少なくとも顕微鏡の発明(1600年前後)を待たなくてはなりません。

そして、1841年の受精の観察、更には、性染色体に対しての知識は、20世紀まで待たなくてはならないのです。

 ですから、「父親がユダヤ人だとしても母親がユダヤ人でなければ、ユダヤ人ではない。」との因習が生まれたのだと思います。

 

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